Shine Episode Ⅰ
『神崎さん、レインボーブリッジに来ませんか。夕焼けがきれいですよ』
『おまえ、なんでそんなところにいる。誰かと一緒なのか』
『いいえ、一人です。気持ちいいですよ~、だーれもいないの。夜景もいい感じに見えてきました』
『すぐ行く! 水穂、そこを動くんじゃないぞ、わかったな!!』
電話から聞こえてくる籐矢の怒鳴り声が、水穂の耳に心地よく響く。
神崎さんが来たらなんて言おうかな。
思ったままを言えたらいいけど、やっぱり無理かな。
でも、言わなくちゃ……
迷いは払ったが告白の言葉選びに迷い 海を見ながら気持ちを伝えるための言葉をあれこれと探る。
籐矢の怒鳴り声はまだ聞こえていた。
水穂から電話があったのは、正月もろくに顔を見せない従兄弟のために、到来物の酒を持参した潤一郎紫子夫婦が、籐矢のマンションに来ているときだった。
「水穂、そこを絶対に離れるな、いいな!」
籐矢は電話口に怒鳴ったあと、ダウンジャケットを慌しく着込み、車の鍵をいったん掴んだが乱暴に放り投げた。
「くそっ、飲んでるんじゃ運転できない」
「籐矢どうした、香坂さんになにかあったのか」
「一人で外出したらしい。まったくアイツは何を考えてるんだ」
「私たちのことはいいから、早く行ってあげて」
「わるい、この埋め合わせはまたな」
飲んだ量はたいしたことはないが、それでも運転するわけにはいかない。
従兄弟夫婦にわびを言い、転がるようにマンションを出た籐矢はタクシーをつかまえて飛び乗った。
警護がつくほどの危ない身なのに一人で出かけるなんて、どういうつもりだ!
籐矢はタクシーのシートに座りながら落ち着かず、ブツブツと文句を言いながら苛立ちを募らせていた。
また水穂の身に何事か降りかかったら……そう考えるだけで体が強張った。
レインボーブリッジが見えてきて、電話向こうの水穂へ呼びかけた。
『今どこにいる。もうすぐ着くから場所を教えろ』
『遊歩道です。サウス、お台場が見えるほうです。わかりますか』
タクシーを降りた籐矢は水穂の姿を求めて走った。
しばらくすると、橋にもたれかかり遠くを眺める姿が目に入ってきた。
足音が近づく……
水穂が音の方へ首だけ向けると、必死の形相の籐矢が走り寄るのが見えた。
相当怒っているのか、見たこともないほど籐矢の顔は険しかった。
「自分が危険だって、わかってるのか!」
一歩近づいた籐矢の右手が動いた。
叩かれるのではないかと、水穂はとっさに目を閉じ体を固くした。
「頼むから、これ以上心配させるな。あんな思いは、もうたくさんだ……」
水穂は籐矢の腕の中にいた。
右手で乱暴に引寄せられたあと、左手がゆっくりと水穂の背中に添えられた。
海岸の冷たい風にさらされた体が、温かな胸に抱かれぬくもりを取り戻していく。
「神崎さん、いい香りがする。お酒の香りですね……飲んでるんですか?」
「おまえなぁ……はぁ、もういい。飲んでるのかって?
そうだよ、おまえの電話でせっかくの酔いがさめた」
「すみません……」
「ふぅ……何もなかったんだな」
「はい、何もありません」
心配して損したぞと、籐矢は軽く流すつもりでいたが、水穂がひとりでこんなところまでやってきたのは、それなりの理由があるのではないかと思い言葉を引いた。
車を走らせて、一人の時間を持ちたいと思うほど、水穂は何かに追い詰められているのか。
問いただしたい気持ちをひとまず抑え、なんでもなく返事をした。
「良かった……本当にいい眺めだな」
「そうでしょう? 一人で見るのはもったいなくて」
「それで俺を呼んだのか」
「そんなところです」
「バカ」
「またバカって言う。今年はそれ、やめてくださいね」
体を寄せたまま、互いの思いから離れた会話が進む。
どちらも、言いたいのに言いださない胸の内を、何から話そうかそれぞれが考えている。
籐矢は、ふっと鼻で笑うと腕をほどき水穂を解放した。
「その、ふっ、って鼻で笑うのもやめてください」
「他には? 俺に言いたいことはそれだけか?」
「いえ、あの……」
「言いたいことがあったら言ってみろ。そのために俺を呼んだんだろう」
「じゃぁ言います……今日ですけど……」
「うん、今日どうした」
籐矢も水穂も海を向いたまま、二人の間は体は触れるか触れないかの距離だった。
時折、うしろを車が走り抜ける。
「栗山さんに付き合ってもらって、買い物に行ったんです」
いきなり水穂の口から栗山の名が告げられ、籐矢は不快になった。
こんなところに呼び出されてまで、憎からず想う女の交際相手の話を聞かされるのかと思うと、必死で走ってきた自分が滑稽だった。