Shine Episode Ⅰ
「さっきの……あんなところで困ります」
「そうかぁ? じゃぁどこならいいんだ? おまえの家の前よりいいだろう」
「家の前なんて冗談じゃありません! どこがいいとかじゃなくて、場所をわきまえてくださいって言ってるんです」
「そう怒るな、誰かに見られたわけじゃあるまいし。まっ、俺は見られてもかまわんが」
「私はぜーったい嫌です! もし、ジュンやユリに見られたら何て言われるか。
いいですね、気をつけてくださいよ」
「おう、気をつければいいんだな」
「そうじゃなくてー、もぉーっ!」
駐車場でバックミラーに写っていた二人のことを水穂が知ったら、どんな顔をして怒るのだろうかと、籐矢が笑いをこらえて運転していると、横からリボンのかかった箱を差し出された。
「これ……あとであけてください」
「なんだ?」
「少し早いけど、もうすぐ日にちが変わるから渡しておきます」
「日にちが変わるって……おぉーバレンタインデーか! あのブランドのチョコだろうな」
「そーですよ。チョコをもらうのにブランドを指定するの、神崎さんぐらいです。
ほんっと味にうるさいんだからぁ。その代りホワイトデー、期待してますから」
「そっちこそ、渡す前から礼の催促か? まぁいい、ありがとよ。うしろに置いてくれ」
「今年はこれ、神崎さんだけです……」
「わかった……」
「神崎さんだけです」 の言葉に、口元を緩ませた男の顔がチラリと水穂を見る。
信号が黄色になり、籐矢はゆっくりとブレーキを踏んだあと、丁寧にサイドブレーキをかけた。
こんなところでサイドブレーキなんてと、水穂は籐矢の行動を不審に思っていると、ふいに目の前を遮られた。
1・2・3……ぴったり3秒間の無言……
水穂から離れた顔は口角を上げ、憎らしい笑みを浮かべている。
「またぁ、さっきも言ったじゃないですか。場所を考えてくださいって!」
「チョコの礼だ。先に渡しとこうと思ってな」
信号待ちの予想もしないキスに、またもむくれる水穂へ、籐矢はそんな説明をした。
「ちょっと、そんなぁ。チョコのお返しがこれって、あんまりです」
「なんだぁ? 口だけじゃ足りないのか? 足りない分は俺の体で返すってのはどうだ」
「か、か、からだって、そ……そんなの……まだ、心の準備が……えっと」
赤らんだ顔を手で隠す水穂へ、籐矢の口が意地悪く向く。
「なんで心の準備が要るんだ? おや? おまえ今、やらしいこと考えただろう! えっ、そうだろう」
「ちっ、違います! そんなんじゃありません」
「そうむきになるな、冗談だ」
信号が青になり車が動き出した。
水穂は頬を膨らませたまま、籐矢の顔をそっと盗み見た。
何ごともなかったように涼しい顔でハンドルを握っている。
神崎さんったら、こんなところで……
でも、キスのあとの憎らしい顔 嫌いじゃない……
短くとも刺激的な 「お返し」 に水穂は満たされていた。
今夜は誰も彼もが陽気に振舞っていた。
来週からの重い任務の前の、ささやかな息抜きだった。
仕事の話は一切なく、上司と部下の垣根も払われ、、飲んで歌って騒いで……
明日の朝になれば、みな険しい顔になり、バレンタインデーどころではない。
隣で涼しい顔をしているこの人も、任務を果たす責任と、苦渋をなめた無念を晴らそうとする男の顔になるのだろう。
水穂は籐矢の満更でもなさそうな顔を見ながら、そんなことを思った。


