ストーカーに溺愛されても嬉しくないんですが。


「だれもいなかったよ」


戻ってきた先輩は優しい口調でそう言って、わたしの手のひらをすくった。


「家まで送る」


先輩の手はすごく温かかった。心まで染み渡るようだった。


先週に見たバイクがそこにはとまっていた。


わたしにまたヘルメットを貸してくれた。


「すげー慣れてるじゃん」


迷いもなくヘルメットをかぶり助手席に乗るわたしに、先輩は小さく笑った。わたしも思わず自分に笑ってしまった。


“恐怖”はもう、どこにもなかった。


先輩の後ろに乗っている最中には、黒く染まっていた花が一枚ずつ色づきはじめていたーー。



「...ゆ、つゆ?」


ハッとして目の前の大きな背中からのけぞった。


「家に着いたよ」


わたしはどうやら先輩に体を預けてしまっていたようだ。


「す、すみません」


「ぜんぜん!」


先輩は迷惑がるどころか、かなりうれしそうだ。


バイクからおりて、ヘルメットをはずした。


先輩はすぐには去らずに、バイクから一度おりた。


「言いそびれたけど、髪、染めたんだなっ」


わたしの頭を大きな手のひらでポンっとした。


「めちゃくちゃ似合ってる!可愛い……っ」


スルスルと指先が髪に触れる。


髪に神経があるみたいに、なんだかくすぐったかった。


胸がトクンと一度はねた。


「…先輩も、ほんとに茶色に染めたんですね」


見上げて、髪色を見た。


金髪じゃなくなってる。


茶色も、けっこう似合ってる。


雰囲気がだいぶちがう。


見下ろす先輩と、見上げるわたし。


視線がゆっくりとまじわった。


ふたつの影が、ゆっくりと近づいて……重なったーー


ーーバチンッ!


「な、なにしようとしてるんですか!?」


わたしは思いっきり目の前にあったほっぺたを手のひらではたいた。


「いっつ...」


自分の左頬をさする先輩。



「い、今そういう流れじゃなかった!?」


「どういう流れですか!?」


「だ、だって俺のこと見つめてきてたし...」


「先輩のことなんて見つめてません!!髪色を見てただけです」


「それって俺じゃん!?」


「と、とにかく!次こういうことしたら、先輩のこと嫌いになりますからーー」


言い終わるころ、先輩はその長い腕をわたしの背中にまわして、そのままぎゅっと、わたしの体を抱き締めた。


「嫌いになっていいから...1分だけ、こうさせて」


ささやくように、吐ききるようにそう告げた……。


先輩の体温が全身に巡った。


感触を、吐息を、わたしの全身の神経が、先輩を一直線にとらえた。


「ほんとに………つゆが無事でよかった」


……っ……。


ねえ先輩。むしろ、教えて下さい。


今からどうやったら、先輩のこと、嫌いになれるんでしょうか?



「えー!!つゆ、黒に戻したの!?」


朝登校すると、麻紘は目を真ん丸にして大きな声を出した。


「茶色も気に入ってたけど、やっぱり黒が落ち着くなと思って」


「そっか~、でもはやくない!?今日が15日ってことはー、1週間しか経ってなかったじゃーん!!」


「まあまた気が向いたら茶色にしてみるよ」


「うんうん!」


麻紘が発した“15日”という数字に、わたしはなにか違和感を覚えた。


「ねえ麻紘、今日ってなんかあったっけ」


「今日?特にないと思うけど…」


「なんかあったような」


「??」


「あ、思い出した。大成くんが帰ってくるんだった」


「そうなんだ!」


東京へ行っていた大成(たいせい)くん。


会うのはゴールデンウィークぶりだ。



「…」


「つゆ、どしたの?」


麻紘は突然沈黙になったわたしを不思議そうに見た。


「大成くんのことじゃなくて、ほかになんかあった気がするんだけど…思い出せない」


「思い出せないってことは、たいした用事じゃないってことじゃない?」


「たしかに。わたし、どうでもいいことは記憶から抹消されるんだった」


「よっぽどどうでもいいことだったんだよ、きっと!」


わたしは納得して、放課後になるまで授業を受けた。



「つゆちゃん、今彼氏さん教室来てたよ」


放課後になり帰るまえにお手洗いをすませ手を洗っていると、トイレに入ってきたクラスの友達にそんなことを言われた。


「…あー、うん」


最近、訂正するのがめんどくさくなってきた。


だって、クラスのみんな、あのストーカーをわたしの彼氏だと思い込んでる。麻紘以外。


彼氏じゃないって言っても、“隠さなくていいよー!”とか“今彼氏になる前の関係か~!それ一番ドキドキな時期じゃーん!”などと言われるため、

もう勝手に彼氏だと思わせておく手段を徹している。


教室に戻ると、にやにやしている麻紘とショックを受けている様子のストーカーがなにやら会話をしていた。


…なに仲良くなってんの。



「うそだ!いくらつゆの仲いい友達だからって、そんなこと信じないぞ!」


ストーカーの髪色は一週間前茶色だったはずなのに、金髪のときのブリーチのせいですでに色が元通りになっている。


「うそじゃないですよ!だって今日つゆが言ってましたもん!!あ、つゆ、帰って来た!ほら、つゆに直接聞いてみてくださいよ!」


おい、麻紘。わたしに話をふるんじゃない。


今せっかくふたりが話している隙にささくさと帰ろうと試みていたんだ、わたしは。


麻紘、きみはストーカーの気を引いてくれているんじゃなかったのか。


「つゆ!!この麻紘ちゃんが言ってること、うそだよな!?」


「なにがですか?」


いったい麻紘はなにを言ったんだ?


「大成とかいう男と今日デートなんかしないよな!?」


「…」


麻紘、よくも余計なことを。



「先輩に関係ないですよね」


わたしがいつもの調子でそういうと、ストーカーは泣きそうな顔をした。


え。


思わずぎょっとした。


だって、今までわたしが冷たくしようがなにを言おうが、ポジティブ対応してきていたからだ。


よっぽどわたしが大成くんとデートすることがショックだったのか。


「関係…ないよな…うん」


「ちょ、先ぱ…」


先輩はわたしに背を向けて、教室から出ていった。


ちょ…なにあれ。


まるでわたしがひどいことしたみたいじゃん。


あそこまで傷つかなくたって、いいじゃないか。


「つ、つゆごめん。あたし、先輩がちょっとやきもちやくかなーってレベルで言ったんだけど…」


「麻紘はわるくないよ。あの人が勝手にへこんだだけだし。それに大成くんが先約なんだから」


わたしはそう言って麻紘とバイバイした。


大成くんはすでに街に到着している。


はやく行かないと。



電車に揺られ、街に向かった。


大成くんに“もうすぐ着く”と連絡を入れると、“時計台”とだけ返ってきた。


電車からおりて街のシンボルになっている時計台へと足を進めた。


「つゆ!」


「大成くん!」


「元気だったか?」


「元気元気。大成くんは?」


「めっちゃ元気!東京にもすっかり慣れたよ」


「えー、行く前不安がってたくせに」


「まーなあ!」


そんな会話をしながら歩き出した。


焼肉屋を19時に予定しているのだが、まだそれまで時間があるので、てきとうに街をブラブラすることにした。



「なんかゴールデンウィーク来たときより、店いろいろ変わってない?」


街並みを眺めながらそう口にした大成くん。


「ちょうどゴールデンウィークあけにいろいろ閉店したり開店したりしてたよ、たしか」


「まじかー!あのクレープ屋もなかったもんなあ」


「あのクレープ屋は、最初うちの高校の最寄り駅の前にあったんだけど、最近こっちに移転……」


言い終わるころ、ハッとした。


「…つゆ?どうかした?」


「ちょっと待って、思いだせそう」


「??」


クレープ……わたし、いつクレープ食べたっけ…。


もやがかかったみたいに、うまく思い出せない。


でも、どうしても思い出したいという衝動にかられた。



「あっ!!」


思い出した!!


クレープは、あのストーカーと、食べに行ったんだ。


たしかあの日は、ストーカー1ヶ月記念日だったんだ。


“記念日15日だから覚えやすいな!!”


今日は……7月15日。ストーカーの言葉を借りるならば、2ヶ月記念日だ。


“記念日にデートしないでいつするんだよー!”


「……」


先輩…だからあんなに、泣きそうな顔を…?


先輩は今日、わたしとデートするつもりだったんだ。


なのに、わたしがほかの男とデートすると聞いて、深く傷ついたんだ…。


どうしよう…さすがのわたしでも、すこし申し訳ない気がしてきた。


「…つゆ。なにか思い出した最中にわるいんだけど」


大成くんは、なぜかこっそり話しかけてきた。


「どうしたの?」


「…なんか、俺らさっきからつけられてない?」


「…えっ?」


つけられてる?

馴染みすぎる言葉に、わたしの頭は逆に理解できなかった。


簡単すぎる問題が逆に解けない、そんなかんじ。



「つゆの学校と同じ制服で、背が高くて金髪頭のやつなんだけど…さっきからずっと後ろにいる気がする」


「……」


ちょ……まじですか。


なんだか頭が痛くなってきた。


「見た目ヤンキーっぽい。つゆ、絶対うしろ振り向いたらだめだよ」


「…………はあ」


わたしは心の底からため息をついた。


「え?つゆ?」


大成くんは自分がため息をつかれたのかと思い困惑し始めた。


「大成くん、黙ってわたしについてきて」


わたしはそう言うと、大成くんの腕をひっぱって、走り出した。


大成くんは驚いていたけど、わたしと行動を合わせてくれた。


走って、走って、走って。


ちょうどよさげな曲がり角で、バッ!!!と曲がった。


そしてそこでストップ!!!!


「はあはあ……つゆ、いきなりどうし」

「シッ!静かに」


大成くんに黙るように指示した。


その、3秒後。


わたしたちふたりと同じようにバッ!!!とこの曲がり角を曲がってきた人物が、そこにはいた。


「ッ!!!!」


その人物はすぐそこに立っているわたしたちふたりの姿を見て、声が出ないほど驚いた様子で立ち止まった。


わたしは待ち構えていたためまったく驚かなかったが、となりにいる大成くんはその人物のいきなりの登場に「うわ!」と声をあげた。



「あ、つゆ、えっと…」


その人物とはだれかは言わなくてももうわかるだろう。


新先輩だ。


先輩は“やばい、しまった”という顔つきをして、この状況をなにやらごまかそうとしている。


わたしはもうほとほとにあきれ返ってしまった。


大成くんは、先輩から“つゆ”という言葉が出てきたため、“え、知り合い?”という顔をしている。


「先輩、なにしてるんですか?」


ここは、いつも以上に強気でいかせてもらおう。


手加減はしませんよ?せーんぱい。


「なにって…それは…」


先輩は最初口ごもったが、すぐに開き直った様子で。


「ど、どうしても気になったんだから、仕方ないだろ!!だれなんだよ、そいつ!!たしかに俺はつゆの彼氏じゃねえけど…そいつなんかより絶対つゆのこと好きだ!!」


なんて、道端で大胆告白。


この人に羞恥心というものはないのか。

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