姉の婚約者
「お前、なんで血を飲みたいんだ?」

いきなり話しかけられて、我に返った。

「え?」

「人間のまま血を飲みたいなんて、不思議な奴だと思ってな。いままで、吸血鬼にしてくれなんて奴は腐るほどきたけどな、ただ血を飲みたいは初めてだよ。正味提供元の気分次第だから保証は出来んがな」

「…飲みたい、なんて」

嘘ですよ。
 喉がからからだからなのか、無意識に声が小さくなる。
きっと後半は聞こえていない。伊沢さんは作業に夢中になっている。

 逃げる隙がないかとそっと鉄柵の中を覗き込んだ。空間はこれまた野外なのか室内なのかわからないようなところで雑多にいろいろなものが積み上げられている。蓄音機、壊れたデスクトップパソコン、二段目のない桐のタンス。伊沢さんは鉄柵の中の空間でなにやらごそごそと探しているようなそぶりを見せている。隙だらけ、行けるかもしれない。私は後ろをそっと振り返って絶望した。エレベーター、別の階に行ってる。上のエレベーターの階層表示にはただ”ゴライアス”と表記があるだけだ。呼び出しボタンだってない。私は途方に暮れるしかない。どうしよう。

 ああ、なんでこんなとこ来ちゃったんだろうなあ。姉さん、もう寝ちゃったかなあ。そんな場合ではないのに、その事がやけに気がかりだった。

「おーい。あったぞ。来い!」
 
 やけに間延びした声に腹が立った。見ると先では伊沢さんが床、もしくは地面の蓋を跳ね上げて待っている。恐怖を気取られないように平静を保って言った。

「こんなとこになんでこんなものがあるんすか?」

「今日の扉の気分がこうだったから」

「なんだ、それ……」

 扉の気分次第だ。知らない人間が来たから緊張してるのかもな。そう言って先のはしごを降りていく。覗き込むと水のにおいが漂ってきた。このままここにいても逃げられないなら、この先に行けばなにか逃げる場所があるかもしれない。地下なら水路につながっているかもしれないし。おそるおそる降りていくと、その先は……見えない。さっきまで水のようなにおいがしていたのに梯子を下りると、何かほこりっぽいようなにおいに変わった。中は暗くて見えない

「?」

 シュッと何かを擦った音がして伊沢さんの顔が照らされる。それから少しきゅっという音がして全体がぼんやり照らされた。そこは小さな部屋になっていた。ああ、ランプに灯を入れたんだ。今時ランプかよ、と思ったが、なかなかどうして部屋の内装にあっている。伊沢さんは勝手知ったるという感じで、ほの明るい光を放つランプが乗った小さな丸テーブルに腰かけて、私に対面の椅子を勧めた。
< 26 / 34 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop