蜜月は始まらない
「……錫也くん」



小さく名前をつぶやくと、胸の中に熱が灯った。

いや、違う。本当はもうずっと前から、私の心は彼にだけ熱くさせられていたんだ。

これ以上、ごまかすことなんてできない。認めるしかない。

私は……錫也くんのことが、好きだ。大好きだ。

一度は諦めたくせに、性懲りもなく、また恋に落ちてしまった。

深く息を吐き、彼の匂いがするシャツに擦り寄るようにソファの上で身体を丸める。

このまま、大きないざこざもなく時が過ぎれば……おそらく錫也くんと私は、戸籍上は夫婦になる。

恋愛感情を抱いているのは私だけにも関わらず、だ。

……夫婦なのに片想いなんて、まったく笑えない話だけど。

けれど──少なくとも彼は、それがどんな理由であれ、私のことを大事にしてくれている。

こうやって、“約束”を目に見える形にして差し出してくれるほど、気にかけてくれている。

それで、充分だ。一体これ以上、何を望むというのだろう。

彼のことを考えていたら、大好きな、あのやわらかい微笑みが見たくなってしまった。

……早く、会いたいなあ。

左手の薬指にある硬い感触。
そして彼の匂いを感じながら、いつの間にか私は、うとうとと眠りの世界に落ちてしまっていた。
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