蜜月は始まらない
迷った末、ダイニングテーブルの上へメモを残しておくことにする。

小さな紙切れに、ただ【本当に好きな人と幸せになってください。】と書いただけの手紙ともいえないメッセージ。

傍らに先日もらったばかりのリングを桐小箱ごと置きざりにして、玄関を出る。

外からカードキーをかざして鍵をかけ、すっかり見慣れてしまったレンガ色のドアを少しの間見つめたあと、未練を振り切るように踵を返してその場を離れた。

……これから、どうしよう。

何かプランがあったわけでもなく、完全に勢いでマンションを出てきてしまった私は、早々に頭を悩ませる。

実家は……行けない。とりあえず今は、母にも事情を話すつもりはなかった。

それに何より、実家だと錫也くんにもすぐ見つかってしまう。

マナーモードにしたスマホには、すでに数件の通知が溜まっている。

電話の着信。SNSに届いたメッセージ。

こわくてそれらを開くことはできないまま、SNSで友達として表示されている人たちの名前をスクロールしていく。

私と錫也くんの関係性を知っていて、なおかつ、彼の捜索網からは外れている人といえば──。

相手の迷惑を考えると気が引けたけれど、思いきってその人物への電話発信ボタンをタップする。

祈るような気持ちで待った何度目かのコールのあと、耳にあてたスピーカーから聞き慣れた声が届いた。
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