蜜月は始まらない
「す、錫也くんはすっかり忘れちゃったみたいだけど、先月ウィングスの人たちに紹介してもらった日に……居酒屋から帰ってシャワー浴びた錫也くんが、寝ぼけていきなり私にキスしてきて」

「は、」

「そのとき錫也くん『間違えた』って言ってた……それってつまり、他の人にしてるつもりだったのに実は相手が私だったから、思わずそうつぶやいちゃったんでしょう?」



にじむ涙は、まだギリギリあふれてはいない。

私の言葉を聞いた錫也くんは一瞬呆けたような間のあと、空いた右手で自分の顔を覆ってうつむいてしまった。

はーっと深く、ため息が聞こえる。



「……夢かと思ってた」

「え?」



耳に届いたつぶやきの意味がよくわからなくて、再度彼に視線を合わせた。

錫也くんは未だ口元を手で隠したまま、顔を上げる。



「忘れてたわけじゃない。あの晩華乃にキスをした記憶はちゃんとあって……けど、俺が都合よく見た夢なんだと思ってた」

「ゆめ……」

「そうか、それなら、説明できる」



納得したようにひとつうなずき、顔を隠すのをやめた彼がまっすぐ私を見つめる。



「あのとき俺が『間違えた』と思ったのは、順番のことだ。華乃の気持ちも考えずにいきなりキスなんてダメだろって、ぶっ飛んだ頭でも一応考えた」



そう……だったんだ。

錫也くんの口から真相を聞いて、とたんに肩から力が抜けた。
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