デキる女を脱ぎ捨てさせて
「夕刻の6時。
 山野の公民館にそれを持ってきてくれ。
 花音ちゃんも女の子なら饅頭一辺倒じゃ色気がないで。」

 色気……。
 おじさんに色気を出せと?

 怪訝な顔をしているだろう私などお構いなしに頭を下げた倉林支社長が「6時に必ず」と言うので、慌てて彼に倣って頭を下げた。

 社用車に戻る途中も何のことかさっぱり分からない。
 車に乗り込むとどうにも堪えられなくなったらしい彼がクククッと笑い出した。

「『花音ちゃん』はハイカラなものが苦手なんだね。」

 久しぶりの彼のからかうような口調に思わずムッとした。

「どうせ私は生まれも育ちも山野です。」

 彼は私を見ないままエンジンをかけた。
 そして車はゆっくりと動き出す。

「それは幸せ者だね。」

 優しい口調はどこか寂しげで。
 私は何も言えなかった。

 日常に戻っていく倉林支社長との関係性。
 それは居心地の良さとともに胸の痛みを感じさせた。

 上司と部下。

 適度な気遣いと少しのからかいと。
 信頼関係と尊敬。
 全ては仕事だけの間柄。

 もう二度と彼の瞳に『花音』が映ることはない。
 これからもこの先もずっと『西村さん』のまま。

 これでいいんだよ。これで。

 そう思って前を向くしかなかった。

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