千一夜物語-森羅万象、あなたに捧ぐ物語-
部屋の中に入った桂は、背中を向けて座っている娘の後ろ姿に強烈な既視感を覚えた。

独り籠もっていた割にはとても長い黒髪は美しく、強張った背中を撫でてやりたいと無意識に思った黎は、なるべく警戒されないようにゆっくり近づいて隣に腰を下ろした。


「…経験してないことを口走ったり、よく分からない夢を見たりするんだってね」


「……私を祓いに来たんですね?」


「違うよ。俺も同じだったから分かってやれるかなと思って」


――それまで娘の顔を見なかった。

若い娘の顔を不躾に見てはいけないし、今までの経験上目が合って笑いかけたりすると気を持たせてしまい、とんでもないことになったことがあるから。


「例えば…?」


「ああ…やっぱりその声、おんなじだ…」


「え?」


「あ、いや、うん…ええと…例えば……牛の世話をしていたり、田植えをしたり」


隣で衣擦れの音がした。

娘が顔を上げたのだと分かったが、桂は目を伏せて話し続けた。


「若い男が一緒じゃなかった?一緒に暮らしてなかった?とても…幸せじゃなかった?」


「あ、あなた…誰…」


「死の間際まで一緒に居た男は……俺じゃなかった?」


桂は娘――桃花(とうか)をはじめて見た。

唇を震わせながら見つめてきている桃花と目が合った途端、‟見つけた”と直感した。

それは黎が神羅を見つけた時と同じ直感で、桃花もまた目を見開いて桂の頬に手を伸ばした。


「私…知ってる…!あなたのこと…っ」


強烈な頭痛が襲ってきて頭を押さえた桃花をふわりと抱きしめた桂は、頭を撫でてやりながら万感の思いで何度も何度も、囁いた。


「大丈夫…思い出せるよ。だから頑張って」


――桃花が桂、と小さく呟いた。

名を教えていなかった桂は、小さく笑って桃花を抱きしめ続けた。
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