水の踊り子と幸せのピエロ~不器用な彼の寵愛~
「空気を入れ換えるから、ちょっと待ってなさい」
「はい」

 渚は腕まくりをすると、窓際に行ってカーテンと窓を開けた。外の生温い風が入り込んできて、冷たい空気と混ざる。閉め切っていたようで、医務室内をできる限り見渡してみても、他に患者はいないようだった。

「私は蓬莱《ほうらい》渚。この曲芸団の監督補助、兼常駐医師。で、あんたの名前は?」
「姫野波音です。よろしくお願いします」
「波音ね、よろしく。それにしても、遊泳禁止の海で泳いでて溺れるとか、馬鹿なの?」

 渚が戻ってきて、机の横の洗面台で手指を洗い始めながらそう言った。この街の人からすれば、そう見えてしまうのは仕方が無い。だが、波音はルールを破ったわけではないのだ。状況の整理も兼ねて、弁明することにした。

「いや、あの。私がいたのは、間違いなく一般に開放されていた海岸です。そこで、遠くに流されてしまった子を助けようとして、溺れて……」
「だーかーらー。この国では海には入れないわよ。観光資源なんだから。そんなに泳ぎたいなら、街が運営するプールに行きなさいよ? 一緒にいた子は助かったの?」
「……えっ」

 波音は渚の言葉を脳内で反芻《はんすう》する。『この国では海には入れない』、確かにそう言った。しかし、そんな法律は存在しないはずだ。
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