ハーモニーのために
ジャブルータウン
乾いた空気と砂埃が私の鼻腔を刺激した。思わず咳き込んで目が覚めた。目の前にはオレンジや茶色の岩山が広がり、そこから奇抜な形をしたサボテンが突き出ていた。生暖かい風が体を包み、ぎらぎらと輝く太陽が目をちらつかせた。馬の歩くリズムと一緒に体が揺れており、自分の顔を馬の滑らかな毛に押し付けていた。一筋の汗がまつ毛の上に乗り、意識を取り戻した。

「おっ、起きたみたいだね。」

顔を上げてみると、そこには見覚えのある青年が私と同じ馬に乗って、こちらを覗いていた。

「あ…私…」

あの後、ジャックと名乗る謎の男の集団と一緒にクラリシア様の王宮から逃げ出して、崖から飛び降りたことを思い出した。しかしそのあとの記憶が消失しているため、まだ自分が生きているという実感がなかった。

「すまなかったね、きみを驚かせてしまったようだった。あれは僕らの世界に空間移動するために飛び降りたんだ。あまりにも急すぎて、気を失ってしまったんだよ。無事に目が覚めてよかった。」

空間移動というわけのわからない言葉が引っ掛かったが、きっと私がこの不思議な世界に入り込んだ時のような要領だろう。信じられないことの積み重ねで、いちいち自分の世界の常識に合わないことでも気にしなくなっていた。目をこすって、体を起こしたら、馬が止まった。目の前には、また別の町が広がっていた。

「ようこそ。ここがジャブルータウンだよ。」

目の前に大きな古ぼけたピンク色の門が立ち、上には「JABLUE」とブロック体で大きく書かれていた。私とジャックの仲間たちは馬を下り、その門をくぐっていった。真ん中に広くて長い砂利道が突っ走っており、それに沿って古ぼけた黄色や茶色の家々が並んでいた。その中に一軒、茶色の大きな建物が目立っていた。前には木製の洒落た階段がせり出し、窓の周りには金色の枠が縁どられていた。ジャックとほかの連中は馬を納屋に入れた後、その建物に向かっていった。近くまで来ると、ところどころで木の板がはがれ落ち、装飾もほこりをかぶっていたのが見えた。看板には緑の大きな字で「Public Bar」と書いてあった。不意に風が舞い上がり、砂埃が目に入って涙をそそった。痛みにこらえようと下を向き、手で押さえていたら頬に温かい感触がした。上を見上げてみると、ジャックが私を心配そうにのぞきこんで頬を流れ落ちた一筋の涙をぬぐった。

「大丈夫?」そういってニコリと笑った。「ほら、行こう。」

彼は茫然と立っていた私の肩を取ってバーの中へ通してくれた。古びたドアが軋んで開いた途端、お酒とたばこのにおいやグラスがぶつかり合う音、大声で笑う声がいっぺんに流れ出てきた。中にあった金色のベルが大きく鳴り響き、奥からマスターの気前の良い元気な声が聞こえた。

「いらっしゃい!お、ジャックじゃないかぁ。旅はどうだったかい?」

ジャックはマスターに小さく手を上げてカウンターのほうに進んでいった。私はそのあとをついて行った。中にはたくさんの人たちが集まってお酒を飲みながら談笑していた。カウンターに行く途中で顔を真っ赤にしたおなかの大きい中年の男がジャックの肩をたたきながら大声で話した。

「ジャックぅ!!まぁーたかわぃー子連れてきちゃってなぁー。おまえはかわぃー女の子しかくらしりあぁからつれてこねーなー!あっはっはっは」

そういって一人で笑って席に戻っていった。私は顔が熱くなるのを感じ、ジャックのことをちらりと見てみたが、彼は全く動じずそのまま進んでいった。それからまた若い男女の集団にジャックは足止めをさせられた。友達と思われる男たちは立ち上ってジャックと握手し、女性たちは口ぐちにジャックに席を進めてきた。あっという間に黄色い声がジャックを包み込んだ。白人の女の子たちはみんな髪の毛をお下げにし、ピンクや青のエプロンを身に着けていた。ジャックは愛想笑いをしながら彼女たちを笑い飛ばすようなジョークを言った。私はまるでだれの目にも映らない、透明人間のような気分になった。それと同時にジャックの社交性に驚いた。彼の明るい性格のおかげだろうが、周りには必ず誰かがいる。ジャックは上手に彼女たちの間をすり抜け、カウンターにあともう一歩というところで立ち止まった。

私もジャックの向いている方向を見ると、そこには一人で椅子にかけた老女がいた。彼女の肌は小麦色で、髪の毛はそれと対照的に白かった。しわが顔中に彫られていて、きれいな模様が描かれたスカーフのような服から出ている腕や足は骨と筋が浮き彫りになっていた。目はグレーと黄色が混じった不思議な色をしていて、どこを見ているのかわからなかった。ジャックは突然彼女の元に近づき、膝をついた。

「ただいま戻りました。みな無事です。今日もありがとうございました。」

そういってこうべを垂れた。老女は何も表情を変えず、そのまま動かなかった。

「それと、彼女が新しくクラリシアからやってきたものです。あそこの激しい弾圧に耐えきれなくなった、モニカというものです。」

ジャックは手を私の方向に向けただけで、老女から目を離さなかったが、老女のほうはゆっくりと私のことを眺めた。私はどうすればよいのかわからず、「モニカです」と言って頭を下げた。髪の毛が私の汗にへばりついて、顔を上げてからも手でふり払わないといけなかった。

「お前はもともとどこで生まれた。」

老女の口が動いたのがわかったが、あまりの声の麗しさに耳を疑った。しわがれた声を想像していたが、耳をなでるような落ち着いた声だった。

「私は…」

そう言って黙り込んでしまった。何と答えればいいかわからない。地球から来たのは確かだ。しかし、ここも地球…。沈黙している私を不思議そうにジャックが眺めた。

「クラシリアで生まれ育ったんじゃないの?」

「いえ…もっと別の場所です。もっと、この世界と違う場所…」

私が答えに困っていると、老女がさえぎった。

「もう行ってよい。それと、これからは私の家で暮らしてくれ。」

「えっ?!」ジャックがおどけた声を発した。

驚くジャックもお構いなしに老女は老人とは思えないスピードで立ち上がり、足をすりながらバーの奥へと消えていった。

「あの…つまりあの方と同居する、というわけですか?」私は恐る恐るジャックに聞いてみた。

「いやぁ、驚いたなぁ。まず君がクラシリアの生まれじゃないってことも驚いたけど、あのオーリアが他人を自分の家に住ませるなんて!」

「相当偉い方なんですよね…?私失礼なことしないかなぁ…。」

「えらいどころじゃない。この町の救世主― いや、女神といわれるくらいの方で、町の安全などをお祈りしてくれるんだ。いやぁ、そんな方がねぇ…」と言って、ジャックは私を改めてまじまじと見つめた。私は顔に血が上る感覚がして、ジャックを押した。

「あんまりじろじろ見ないでよ!」

「ははは、悪いわるい。ただあんまりにも信じられなくてね。」

ジャックはそういうとにこやかに笑い、私の手をとってやっとカウンターのところにまでたどり着いた。ジャックが握っている私の手はどくどくと脈打っていた。「よお、ニール!待たせて悪かった。」マスターにあいさつしながらジャックはカウンターの席に座った。私もつられて隣に座った。マスターは髪の毛も肌も真っ黒だった。髪は短くてちりちりで、口の周りにも真っ黒なひげが円を描いていた。

「よっ、元気か?あ、こんにちは御嬢さん。何か飲むかい?」

「そうそう、この子はクラリシアからやってきたモニカ。モニカ、こいつがニールさ。人のいいバーのマスター。それと俺はビールを一杯!」

「人のいいマスターか、はっはっは」ニール店長は大きく笑った後に私に話しかけた。

「こんにちはモニカちゃん。何飲む?」

「あ、こんにちは。じゃあ…私はジンジャーエールで…」私は今にも消えそうなか細い声で言った。

「はい、毎度あり~!」

元気なマスターの声が鳴り響き、さっと仕事にかかっていった。店長が離れた途端、ジャックは私の方向に椅子を傾けた。

「ねぇ、本当はどこから来たのさ、きみは。」ジャックはその深い緑色の瞳で私を好奇心旺盛に見た。

「えーと…それが、なんて説明したらいいのかわからないの。私たちの世界は名前もないし…。」

「じゃあどんなところか教えてよ。」ジャックは顔にかかった前髪を振り払った。

「まず、こんなにいいところじゃないわ。みんな同じ服を着て、同じことをして、同じ食べ物を食べるの。だれ一人違うことをしてはいけないの。それに、音楽なんて知りもしなかった!」

私は次第に自分の声が大きくなっていくのに気付いた。声に熱っぽさが増していった。

私はここにきてあの世界がいかに恐ろしい場所だったことを思い知った。今までは何も知らず、ただ言われてきたことをやっていただけだった。いつも出勤するとあのカーキ色のジャージを着て、上層部に命令された場所に行き、火炎放射をして消火する。なぜこんなことをするのか考えもしなかった。自分がどれだけ大切なものを燃やしてきたかと思うと背筋がぞっとした。そして音楽に出会えていなかった自分を考えると、恐怖のあまり消えてしまいそうだった。

「そんな最悪な場所から来たのか…。それならクラリシアよりずっと悪いじゃないか!こっちに来てよかったね。ここはね、みんな自由なんだよ!」ジャックは目を輝かせて両手を大きく上に広げた。

「自由…。」私はぼんやりとジャックの手の先を見た。

「そう、何をしてもいいし、何を考えてもいいし、自分の好きなようにできるのさ!音楽だってそう、間違えたって楽しけりゃなんだっていいのさ。ただ、他人に迷惑かけることはもちろんだめだけどね」彼ははにかみながら私の手を取った。「もちろん、愛することだって自由だよ。」

ジャックが言った言葉たちは私にはピンとこなかった。言葉一つ一つの意味は分かるのだけれども、具体的にどういうことを示すのかがわからなかった。

「愛…」そうつぶやいた途端、カウンターのほうでグラスが大雑把に置かれた。

「はーい、冷たーいビールとジンジャーエールができましたよ~」

マスターは満面の笑みで飲み物を置いてくれた。
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