叶わぬ恋と分かれども(短編集)
身体中を這いまわっているかのようだった憎悪が、静かに、音もなく、鎮まっていった。
彼は手に入らなかったというのに、憎悪が治まったのだ。
だから店長の「もう少し話してもいい?」という申し出も、静かに頷いた。
「村山さんが彼女のことを片側からだけ見て勘違いしたように、俺のことも片側から見て勘違いしてるんだと思う」
「……どういうことですか?」
「俺はどうしようもない男だってこと」
「そんな風には思えません……」
「いや、そんな風なんだよ。いろんな人を傷付けてきた、バツイチのおっさんなんだよ」
「え……?」
バツイチであると……離婚歴があると告白した店長は、少し昔の話をしてくれた。
七年前、新店舗の店長に就任するため他県からやって来た店長には、転勤するからと焦って籍を入れた奥さんがいた。でも見知らぬ土地での生活はうまくいかず、新婚早々夫婦仲は最悪。
そして六年前、崎田さんが店で働き始める。
すぐにふたりは旧知のように仲良くなった。話が弾む、話が合う、共通点も多い。好きになるなというほうが難しかった。
それからは崎田さんと奥さんを「崎田さんは料理上手、嫁は料理をしない」「崎田さんは子ども好き、嫁は子どもが嫌い」「崎田さんは趣味を認めてくれる、嫁は怒鳴るばかり」と比べてばかりいたらしい。
夫婦仲はどんどん悪化し、毎日お互いの粗を探し、みっともない喧嘩を繰り返した。店にいるときだけが癒しで、店にいる時間がどんどん増えていった。
でも問題がひとつ。店長が既婚者だということだ。
気持ちを隠したまま、ただ仲の良い店長と店員として過ごしていたら、それがあだになった。ふたりの仲の良さを誤解したスタッフが、ふたりが不倫していると言い出したのだ。
勿論そんなことは一切なかったけれど、スタッフからの白い目や噂話、嫌がらせは確実にあった。店長が守ろうとすればするほど、不倫の噂に拍車がかかる。その心労で崎田さんはみるみるうちに元気を無くし、店長も地元の店に転勤が決まってしまった。
結局気持ちを伝えることができないまま離れ、店長が離婚をして再びこっちの店にやって来るまでの五年間。連絡はとらなかったらしい。五年間でたった一度だけメールを送ったことがあったけれど、やっぱり気持ちは隠したらしい。その五年という時間は、店長の中からいくつもの記憶を消した。いつも見ていたはずの崎田さんの笑顔はもう思い出せず、浮かぶのはひどく疲れてつらそうな顔ばかり。
その長い年月は、店長が崎田さんを忘れられずにいた五年であり、崎田さんが店長を想い続けた五年でもあった、と。ふたりがそれを知るのは、再会を果たしてからだった。両想いだったふたりは、お互いが気持ちを隠し、口を閉ざしたことにより、結ばれずに何年も過ごすことになったのだ。
「だから俺は何年も嫁を傷付け続けて、俺が叶わない恋をしたばかりに崎田さんを傷付けた。結婚に反対していたうちと嫁の両親にも迷惑をかけた。そんな、どうしようもない男なんだ。そんな男を何年も好きでいてくれて、恋人になってくれた崎田さんを、俺は大事にしていきたいんだ」
知らなかった店長の過去と気持ちを、私は冷静に聞くことができた。
ふたりがいろいろな感情や出来事や、長い年月を経て、付き合い始めたということを。
「村山さんがこんな俺のどこを好きになってくれたのかは分からないし、好きになってくれてありがとうっていう気持ちもある。でもこれだけは言わせてな。釣り合っていないのは彼女じゃない、俺なんだ。だから彼女のことを悪く言うのは、やめてほしい」
店長が、真っ直ぐな目でこちらを見下ろし、私はさっきまでの憎悪が嘘みたいにすんなりと。「すみませんでした」と口にできた。