ぼくたちだけの天国
Introduction
Introduction.
 棚橋玲二(アミューズメントパーク遊戯帝国、バッティングコーナー主任)


 茅野霧香さん、ですよね。はい、知っていますよ。
 いい子でしたよ。とても礼儀正しい女の子でしたね。確か、勉強もよくできたはずです。
 ああ、いえ、勉強の話はあまりしませんでしたが、雑談の中で志望校を聞いたら、それなりに偏差値の高い高校の名前を口にしていましたから、ああ、この子は頭がいいんだなと思ったことを憶えています。
 綺麗な女の子でしたね。切れ長の眼差しがとても印象的な、そうですね…和風美人、とでも言いますか、長い黒髪がよく似合う子でした。あの年頃の子にしては、背も高い方だったのかもしれません。
 口数の少ない子でしたね。今時の言葉でいえば、クールビューティ、というタイプの子ですか。
 私は彼女が14歳のときに逢いました。まだ中学二年生でしたけど、もう既にあの圧倒的な才能を発揮していましたよ。
 そういえば彼女は「ホームラン・アーティスト」なんて呼ばれていましたね。何度か友達と一緒に来店されたことがありましてね、そのときに「さっすがホームラン・アーティスト」なんて言われていたのを憶えています。
 さて…誰がそんなことを言い始めたんでしょうね。もしかしたら、古くからの野球ファンではないでしょうか。それも、阪神タイガースのファン。
 理由、ですか? ええ、もうかなり昔の話になりますが、阪神タイガースに田淵幸一という、歴史に残る大打者がおられまして、その方がかつて、ホームラン・アーティストと呼ばれていましてね。
 田淵選手のホームランは、虹の架け橋のように鮮やかな、滞空時間の長い打球が特徴的でした。
 お分かりでしょう?
 茅野さんが放つホームランも、同じですよね。ふわっとした感じで放物線を描いて、オーバーフェンス。田淵選手のホームランによく似ているんです。
 ですからきっと、茅野さんをホームラン・アーティストなんて呼び出したのは、オールドファンじゃないかと推測したんですけどね。
 まあ、誰が呼んだかなんて、どうでもいいことですね。それよりも大事なのは、茅野さんがわずか14歳でそう呼ばれていた、ということですし。

 私はプロにこそなれませんでしたけど、社会人で40手前まで現役を続けることができましたし、退職後もこうして、バッティングセンターの店員をしながらも、野球教室の講師をしたり、独立リーグのチームでコーチをしたりと、野球に関わりながら生きて来られました。
 そんな私が見た中で、最高の天才打者。
 それが、茅野霧香さんです。
 私が茅野さんと知り合ったのは、ここのバッティングセンターに、彼女がお客様としてやってきたからなんです。
 驚きましたね。なにしろ、いきなり140キロのゲージに入ったんですよ。おいおい、無茶な子だなぁって思いながら見てましたら、まあ…二度目の驚きです。
 140キロの球を、簡単に打ち返すんですよ。しかもほとんどがヒット性の、会心の当たりでした。初めて来店したその日に、いきなりホームラン賞も獲得しましたからね。
ああ、ホームラン賞というのはですね、当店ではバッティングゲージの奥、ネットの上部にホームランエリアを設置してありまして、打球がそこに飛び込んだらホームランというルールなんです。
 彼女はほぼ毎日、当バッティングセンターに来ました。多少の前後はありますが、だいたい夜の八時頃です。
 そして、5ゲームほど…多いときには10から15ゲームほど打ち込んで行くんです。当店は1ゲーム200円で20球ですから、茅野さんが毎日どれだけ打撃練習をしていたのかがよく分かりますよね。
 えっ、お金…ああ、プレー料金のことですか。そうですね、確かに彼女は中学生でしたから、毎日のプレー料金を捻出するのは大変だったはずです。
 普通に払っていれば、ですが。
 ああもちろん、茅野さんが違法行為をしていたわけではありませんよ。
 実は彼女、当店のフリーパスを持っていたんです。それも、自分で獲得した物です。
 当店ではホームラン賞として、景品をプレゼントしているのですが、その他にポイント制も取り入れてまして、ポイントが一定以上貯まりますと、まあ、ちょっとした賞品を差し上げているんです。
 たとえば30ポイントで、プロ野球の観戦チケット、50ポイントでバッティンググローブ、などです。
 最高が100ポイントで、賞品は当店の年間フリーパスなんです。それを持っていれば、一年間ずっと無料となります。
 茅野さんは、それを獲得されたんですよ。しかも、来店するようになってたったの三ヶ月で。
 あれには当店のオーナーも驚きましてね、初代ホームラン王として写真を飾らせていただきましょうと。茅野さんが「恥ずかしいです…」と頑なに拒まれましたので、さすがにそれは断念しましたが。
 ええ、ポイントをクリアしたのは、茅野さんが初めてでしたよ。それ以来、彼女は年間パスの期限が切れる前に、新しい物を獲得しています。つまりは、それほどの実力を持っている打者、ということですね。

 茅野さんのことをお聞きになりたい、とのことでしたが、申し訳ありませんが、彼女のプライベートのことはほとんど知りません。まあ、お客様と店員の関係ですし、私と彼女では親子ほども年齢が離れていますから、親しく会話をするということも少なかったですね。
 それでも彼女が休憩しているときに、ちょっとお話させていただいたこともあります。
 当店には自転車で来ていることや、ここからちょっと離れたところにある市立の柳原中学校に通っていること、学校では野球部に入っていることなんかをぽつぽつと話してくださいました。
 ああ、そういえば…男の子と一緒に来店したことがありましたね。
 ギターケースを持った、柳原中学校の制服を着たかわいらしい男の子でした。おそらくは同級生でしょうが…失礼ながら、彼が制服を着ていなければ、女の子と見間違えていたかもしれません。
 恋人? さあ、どうでしょうね…茅野さんのトレーニングを観に来た同級生、という感じに受け取れましたけど。男の子が、ゲージから出て来た茅野さんを拍手で出迎えましてね。恥ずかしそうに微笑んでいた茅野さんが、とても印象的でした。
 なにしろ私は、それまで茅野さんの笑顔を見たことがありませんでしたから。
 ああ、それで思い出しました。ちょっと不良みたいな男の子と一緒に来たこともありましたね。
 それが、今時珍しい変形学生服、ボンタンを履いた…ボンタンって分かりますか? 太腿がとても太くて、裾を強烈に絞ってある変形学生服のことです。昭和の不良少年の定番でしてね。
 上着はショート丈のブレザーという、本当に私の学生時代に大勢いた不良少年の格好をした男の子と一緒に来たこともありました。
 別に脅されている風ではありませんでしたよ。親しげに話していましたから。きっと、あの子も同級生だったんでしょうね。

 茅野さんが、プロ野球選手に、ですか?
 さてどうでしょうね…クリアしなければならない問題はたくさんあるでしょうから。
 ただ、純粋な才能だけでお答えするのなら、答えはイエスです。
 来た球を打つ。
 球を遠くに飛ばす。
 その才能だけで言うなら、彼女は間違いなく天才です。プロ野球に辿り着いても不思議はない女の子でしたよ。
 ああ、もちろん彼女の守備や走塁のレベルについては、バッティングしか見たことのない私には分かりませんが…こと打撃に関しては、14歳だった茅野さんのレベルは、高校や大学の野球部員よりも上でした。当店にはそれらの選手も練習に来ますから、その方々と見比べての結論です。
 茅野霧香さんは、逸材でしたよ。

 それにしても、茅野さんのことをお聞きになりたいとのことでしたが…。
 茅野さんはいま、どうされているんですか?
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