夏が残したテラス……
「あっ!」

 彼女は、何かを思い出したようで、ばつの悪そうな顔をした。

「悪いのは俺だ……」

 俺はそう言って、わざとらしく頬を摩った。


「そうよ! あんなに酔って海に入るなんて信じられない。海は怖いんだから……」

「ああ…… 思い知ったよ……」

「本当に? あんなに、綺麗に波に乗れるのに、海を知らなかったのね…… まあ、今日の波乗りは別だけど……」

「分かったよ。あんなまねはしない。約束する」


「うん」

 彼女は、納得したように肯いた。

 その表情に俺は安心して、ごく当たり前の言葉を発したつもりだった。

「じゃあ、お詫びに、今度ハワイに連れてってやるよ」


「はっ?」

 彼女は、目をまん丸くして、物凄く驚いたような顔をして俺を見つめた。

 数秒後……

「あはははっ。あはははっ」

 彼女は腹を抱えて笑い出した。何がそんなに可笑しいいんだ。
 俺の周りの奴らなら、喜んで盛り上がるのに……

 俺には、真面目に言ったつもりだったが……

「何を、そんなに笑っているんだ」

 彼女の父であるおやじさんが、怪訝な顔でテラスに観葉植物の鉢を出している。


「ねえ、パパ。この人、海里さんて言うの。あのね、海里さんがお詫びにハワイに連れてってくれるって」

 彼女は笑いを堪えながら言った。


「ふんっ。アホの言う事をいちいち相手にするな!」

 おやじさんは、俺の顔など見ず呆れたようにに言った。


「あはははっ。あはははっ」

 彼女は、益々声を出して笑いだした。


「ねえ、ママ!」

 彼女は、笑いながら店の中に入って行った。

 その笑い声は、テラスまで十分に聞こえてくる。


「なに? そんなに笑って」

「あのね、海里さんが、ハワイに連れてってくれるって。でもね、海里さんアホなんだって。あはははっ」

 彼女の笑い声を聞きなだら、俺は手すりに寄り掛かり海を見つめた。今まで、俺の事をアホと言って笑った奴がいただろうか? 
 アホなんて言われたら、俺はすぐ機嫌を損ねただろう……

 でも、今の俺は、俺の事を笑う彼女の声がとても居心地良く感じていた。

「大丈夫よ。一回溺れたから、アホも少しは良くなるわ」

 梨夏さんの言葉に、俺も笑みが漏れた。

 そうかもしれない…… 

 この海で溺れて、俺は生まれかわっちまったのかもしれない。

 彼女の止まない笑い声と、家族の他愛もないやり取りが俺の何か変えていくような気がした。


 この笑い声が、この人達の笑顔が、俺は永遠に続くものだと疑いもしなかった。

 もう、すでに止める事の出来ない黒い嵐が近付いてきていたのに……

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