幼なじみの甘い牙に差し押さえられました
「会議の内容は小夜子さんに伝えておけよ。参加者の名前も忘れずにな」
「はい。
…あ、すみません、全員分の名前は覚えきれなくて」
「マーケターの山田さん、竹下さん、ブランドプロデューサーの本村さん、法務の仙石さん、アパレル統括の杉野さん、だな。
仕事で必要な最低限の敬意は、相手の名前を覚えることからだ。次は忘れるなよ」
「は、はいっ!」
急いで名前をメモする。デスクに戻って小夜子さんに連絡する事をまとめていたら、あっという間に定時になっていた。
「…ほら、あそこにいる…バイトの」
「え?嘘だろ?」
「さぁね。気になるなら金でも渡してみれば…」
ひそひそした声と視線を感じたけど、辺りを見回してもそれらしい人は見当たらない。
次の日も、その次の日も仕事を詰め込む日が続く。山下さんに注意されて悔しく思う事はあったけど、今までと違った充実感を覚えていた。
そんなある日のこと。
「小早川ちゃん、このデータ纏めといて」
「こんな単純な処理、バイトの河原さんにさせれば良いじゃないですか」
「環くんが事務系苦手だって分かってるっしょ。アイツも企画のプラン検討で忙しいんだよ」
山下さんと小早川さんが揉めていた。山下さんがたくさん仕事をするということは、事務処理をする小早川さんの負担も増えてしまうのだ。申し訳ないので小早川さんの席に行ってこっそり謝っておく。
「ごめんね、俺がパソコン苦手なばっかりに、小早川さんの仕事増やして」
「ほんとにね。…お願いだから早く辞めてよ」
小早川さんが何事かを小声で呟いて私を見上げる。その視線に全身が縛られたように緊張した。
「お…お願いって何?ごめん、聞き逃しちゃって」
「聞き返せる図太さに呆れるわ」
話はおしまいだとばかりに小早川さんがバタンとノートを閉じる。
彼女が私を嫌っているのは気づいてた。いつも迷惑ばかりかけているのを申し訳なく思いつつも、挽回しようとしても何故か空回りしてしまうのだ。
「河原さん、今日は展示会用の資材運びを頼みたかったのに、1日席を外していたでしょう?」
「そうだったんだ!ごめんね、今からやるよ。力仕事なら得意だから」
「そう、それならこのリスト通りにお願いね」
「了解!」
何か一つでも彼女の役に立つことがあってほっとする。疎まれていても、仕事さえしていれば私がここに居るのを許して貰える気がするのだ。
リストの内容を小早川さんに確認しようとすると、彼女はもうコートを着た後ろ姿になっている。
小さな背中。声をかけようか躊躇っているうちに、その背中は遠くなる。彼女の振る舞いはどことなくママを思い出させた。
ママも私を嫌っているから、二人が似てるように見えるのかな……。