氷室の眠り姫
「……あれは誰ですか?」
つられるように廊下に出た爽子が尋ねると、柊は少し眉をしかめたものの偽りを言うことはできなかった。
「彼が紗葉の想い人です」
まさか当人がこの場にいるとは思いもしなかった爽子は驚きのあまり、大きく目を見開いた。
「彼は、紗葉を迎えに来たようなのですが……」
どこまでを爽子に伝えるべきか分からずに、柊は言葉を濁した。
「…どうしたのです?まさか紗葉が拒んでいると?」
「今の紗葉は彼を、流を受け入れられる状態ではないのです」
もちろん、そんな説明で爽子が納得できるはずもない。
「何故ですか?障害となるものなどないというのに…もし、主上の側室に入ったという事実が躊躇する原因だと言うなら…」
「違います!そういう問題ではないのです」
何とか言葉を探す柊の横から樹が珍しく口を挟んだ。
「父上、事実をお話しすべきではありませんか」
今度は柊が目を見開く番だった。
「樹、お前は何を言って…」
「ここまで紗葉のことを心配してくださる爽子様です。口外なさることはないでしょう」
「……いったい貴方たちは何の話をしているの?」
訝しみ、柊と樹の顔を交互に見る爽子を気にすることなく、柊は考え込んでいたが覚悟を決めた。
「…これから話すことは口外無用に願います」
「それは…上皇様にも、ですか?」
「偽りを述べられる必要はありませんが、進んで話すのは控えていただきたいと思います」
柊の表情に真剣な気持ちを感じ取って爽子はコクンと頷いた。
三人は改めて客室にある椅子に座り、落ち着いた状態で話し始めた。
「我が一族は薬師として日々研究を積み重ね、より人の役に立つよう努力して参りました。ですが、どれほど薬を開発しても助けられない人もいます」
「それは当然でしょう。人には領分というものがあります。それを越えれば神の領域になるでしょう」
「…そうですね。ですが、その領域に足を踏み入れた者が一族に現れたのです。ただし、自ら望んで得たものではなく、生まれつき備わっていたのです」
そんな話など聞いたこともなかった爽子は眉をしかめながら首を傾げた。
その反応に柊は頷きつつ話を続けた。
「これは我が一族でも長となる者のみが知り得る事柄なのです。帝家にすら伝わっていません」
「どんな能力か分かりませんが、それほど特殊なものなら帝家に報告があってしかるべきなのでは?」