さようなら、初めまして。
悪いが先に帰っていてくれ、そんな言葉が聞こえた。
逢生、話がしたい、そう言って歩き出した悠人の後をただ歩いた。……悠人だった。

気がつけば、洋食亭に来ていた。悠人はドアの前で立ち止まると少しの間があって取っ手を掴んだ。開けた。カウベルの音はしたはずだ。だけど、私には聞こえなかった気がした。
奥に進む悠人の後に続いた。

暫くして珈琲が運ばれた。多分、悠人が注文したのだろう。奥さんは何も言わなかった。静かにカップを置いて戻って行った。

「ごめん、逢生…」

悠人は続けて言った。元気だったか、って、すまなそうにして。会えた切じゃないよな。あの日、俺は怪我をしたんだ。脳震盪だ。意識がなく運ばれた。今は、さっきの子と一緒に居る。
断片的に聞こえてるような気がしたけど、悠人の話し方が、ポツリポツリだったんだ。

「あの子…、杏梨って言うんだけど、ぶつかって転倒して…頭を打って意識がなかった俺を救急車を呼んで…」

……もう、いい。…聞かなくても解った。あの子とぶつかった。ぶつかった責任を感じてずっと悠人の世話をして…。そして、いつしか…好きに……なった。だから、今も、一緒にって事だ。だから私とはもう…。
…、はぁ、ドラマみたいね…。本当凄い…劇的な出会いだね…。あの子と。

「ずっと…意識が戻っても記憶が戻らなかった俺を…」

…記憶がなかった。だから連絡が出来なかったんだ。……そうか。そりゃあ無理だよね…。記憶のないままの悠人とあの子…恋人関係になった…。そうだよね。そうか…記憶がなくなったって事は、私は、忘れられてしまった訳だ…。存在は一瞬にして消えてしまったんだ。
さっき、長い間会わなくて、嘘のような再会だと思った。でも…ドラマのような抱擁…ごめん、心配させたよな、もう離さないって、きつく…、熱く長い抱擁はなかった。…そうはならなかった。……フ、フフ……はぁ。

「最近になって、やっと、記憶が戻ったんだ。…逢生。今までの事を思ったら、俺はもう、逢生に会っちゃいけないと思った。逢生は思っただろ?…あの日、あった事を知って。…こんな風になったのは、自分のせいだって。自分が意地を張って直ぐ機嫌を戻さなかったからだって。そんな風に。そんな…責任もないのに、自分を責めて、思っただろ?それは違うからな?
走って店に行ってたのも、ぶつかったのも、全部、俺のした事だ。俺の不注意、俺の責任だ。
これは俺が招いた事故、今の状態は……何もかもその結果だから。…ごめんな、連絡しないで…回復してから会いに行かないでそのままにして。…もう俺…駄目だと思ったんだ…。そう思ったら、どう思われたっていい…約束に現れなかった、そのまま消えた酷い奴だって思って、…忘れてくれたらって。そう思ってくれって、思った。
変に自分のせいだとか思わないで欲しい。逢生は真面目だから」

走ってたんだ。またあの日も遅れそうだったのかな…。

「悠人だって…真面目でしょ?」

だから…。お世話をしてくれて…、記憶が無い時だったとはいえ、そんな健気な彼女に惹かれて…好きになった、あの人の事…。
ぶつかった事、申し訳ないと思って、きっと一生懸命お世話をしてくれた。記憶が戻って私を思い出しても、じゃあねって、ならないよね?…私との事は…今度は邪魔な記憶になっちゃったよね。理屈では気持ちの整理はつかないものね。それは、私がずっとそうだったから。会わないのが一番いい、そう思った。好きって、簡単じゃなくなった…戻るなんてできない。よね…。
はぁぁ…少しは悩んで苦しんでくれたのかな、私の事を思い出して…、この現状と、…どうしようかって。
もう、どうしようもないじゃない。そうでしょ?…気持ちは…行ったり来たり、都合よく戻せるものじゃない…。今、悠人にとって大切なのは、私じゃなくてあの女の子なんだから。

「逢生…ごめん。俺は…」

「……もういいよ……生きてて良かった、本当に良かった。…心配した。おかしくなりそうな程、心配した。私、態度が、機嫌が悪いままだったから、そのままになってしまったのも、嫌だった。自分が可愛かったのもあると思うの、だからあの日は会ったらちゃんとしたかった……連絡先は大事だって、痛いほど解った。早く聞いておけば良かったって」

「逢生…あの日、俺も早く会いたかったんだ…仲直りしたくて」

…そんな事、もう言っちゃ駄目だよ。……はぁ。

「凄く…私なんかよりずっと…素敵な人だよ」

「…ん?」

「私…何もしなかった。悠人が来なかったのに…手を尽くして捜そうとしてなかったから。その日無理になったんだとしてもお店にまた来てくれたら、連絡は取れるかもって、うちにだって…来れる。そのくらいしか……冷たいよね…。冷たいよ…」

それじゃ駄目だったんだよ。

「…逢生。…悪いのは俺だ。今、偶然にじゃなくて、自分から早く訪ねていたら」

「…謝りに?……誰が悪いとかじゃない。事故だもん。仕方ない。…それからの事だって、…なるべくしてなった。自然な事だよ。
待たせてるのよね?アンリさんだっけ。早く行ってあげて。心配してる。信じてるって思っても、私と居るってだけで凄く不安だよ?凄く心配してるよ。大事な人は…片時だって不安にさせては駄目だよ。駄目だよ…もういいよね、早く行って」

「逢生…」

そう…大事な人は不安にさせちゃいけないんだよ…。

「あ、私もね、今、彼、居るの」

「……そう…、なのか?…逢生、それって本当なのか?」

信じてない、嘘だって簡単にばれた。こんな、取ってつけたような話。でも、嘘だって思われても、冷たく割り切った酷い人間って思ってもらった方がいい。

「あのね、悠人を見掛けて怖いくらい必死だったでしょ?フフ。あれ、私は悠人の連絡先を知らないでしょ?だから、偶然見掛けたから、何とか捉まえて彼が居る事、伝えなきゃって…だから、恐いくらい追い掛けちゃった」

「逢生…お前……ごめん…」

そんな訳ない、そんな事言わせてごめん、ごめん逢生、って、何度も何度も言って、抱きしめられた。そんな嘘まで言わせてって。逢生は冷たくなんかないって。解ってる。ごめん、ごめんなって。
ごめん、て、もう…言わないで。だって、…仕方ないじゃない。もうどうにもならない。仕方ないじゃない。
抱きしめられた…、これが最後になるんだ…。

…はぁぁ。
悠人が店を出て、注文した珈琲にやっと口をつけた…。
冷たくて濃くて苦い…。珈琲て、こんなに苦かったかな。ふぅ…はぁ…。

【ジンさん、悠人、元気でした】

これだけ…こんなモノ送って…。私は…。妄想癖にでもなったのかって…。

…帰ろう…。何しに出掛けてたんだっけ。フフ。……フフ。…。悠人は生きてた。…良かった。理由も解った、だから、もうそれでいいんだよ…。寂しいけど、…それで。本当にこれで終われたじゃない…。


カランコロン…。

「逢生ちゃんっ!」
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