さようなら、初めまして。
「体の直ぐ傍にあったから、この男の人の財布だと思って……後で渡さなくちゃって、最初はそのつもりで、自分のバッグにしまって…」

…普通の事だ。それで?それの何が卑怯だと言うの?……まさか、財布の…中身の事?…お金?

「処置が終わって…気がつくまで待ってる間、…財布を見たんです。身元確認しようと。確かにこの人の物で間違いないだろうかと。落ち着いて確認しようと思って。
そしたら…中に免許証があって、顔を見て、間違いないと思いました。光永悠人…て人なんだって。他に社員証もありました。メモもありました」

…?。ふぅ、お金をどうこうしたって、そんな話じゃないのね…。それなら別に隠したって事にはならないと思うけど。

「……意識が戻って、先生を呼びました。そしたら、…解らないって…。自分が誰なのか、解らないって…凄く動揺して…私」

…記憶がなかったって事だ。びっくりするよね。頭打ってるし、大丈夫なんだろうかって。

「それからずっと、お世話をしてくれたんですよね」

あ、してくれたとか、そんな言い方…もう言う立場ではなかった。

「ごめんなさい、してくれたとか、ついそんな言い方になって、気にしないで、意地悪じゃないから」

首を激しく振られた。

「私、身元が解るのに、……言わなかったんです。誰にも教えなかったんです」

え、あ。……そういう事…。隠したって意味は、それが卑怯だったって…。何だか…。

「身元が解れば記憶がなくても誰かには連絡がつきます。それを出来なくしたんです。それで、私、身元が解らなくても…私が…責任を持ってお世話をしますからって言って…押しきって。
検査の結果、脳内に損傷は無くて…異状も無くて大丈夫だったから。私の部屋に連れて帰ったんです。……私、…魔が差したんです。ごめんなさい。この人には私しか居ないって、思わせて、勝手に…私が」

マ、ガ、サ、シ、タ…。ワタシシカイナイ。…呪文?…だとしなくても…恐い言葉だ。…一目惚れ、してしまったんだ。きっと。だからそんな異常行動に。
一緒にいる事、居たい事、それを…援護した、自分に都合のいい思い込んだ言葉…。

「怖かった。いつ記憶が戻るか解らない。ずっと戻らない方がいいとさえ思いました。解らないけど、こんな人にはきっと素敵な彼女がいるんだろうなって、思いました。素敵だから。この人と連絡が取れなかったら、きっと誰よりも心配してるって。…可笑しくなるくらい必死に捜すだろうなって…」

そこまで想像が出来て…だったら何故、そんな事をと、口にしそうになった。
身元を明かしてくれてたら…。怒りに近いモノが一気に湧き上がった…といったって……今更の話だ……はぁ。心配も不安も…、会えなくて、どうしたらいいのかさえ、私は解らなくなってましたよ?

「私……このまま、この人と…一緒に居たい…帰したくないって、思ってしまったんです。人として可笑しいですよね。記憶のない人は一人ぼっちだって。……違うのに。心配してる人、知っている人は居るのに。きっと捜すはずだって。でも、……これも…何か…出会いなのかもって、いい方に、都合よく思って…。ごめんなさい…ごめんなさい。勝手な事…自分に都合のいい考え方をして。ごめんなさい」

……はぁぁ。…ふぅ………はぁ。そんな事、言われても、どんなに謝られても、今更だ。……。
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