さようなら、初めまして。
引っ越すことが決まってから、実際の引っ越しも取り壊しも早かった。アパートのあった土地は一旦綺麗な更地になった。私の生活は、場所が変わっても何も変わらなかった。あのアパートで暮らし始めた昔のようだった。百子さんとは前にも増して繋がってるベランダで、時に土を弄りながら、よく話をするようになった。奏介さんの事情を知って、私はきっと孫のように思われているのかも知れないと思った。可愛がってもらって有り難かった。


アキちゃん遅いな…。さすがにお腹空いてきた…。ブー。あ、アキちゃんかな。…やっぱり。

【逢生、ごめん、待ってるよね?終わるはずが終わらな~い、終わらないよ~~】

フフ。仕方ないなぁ。約束した時からこうなる気はしてたけど。フフ。

【アキちゃんのドタキャンは慣れてるから大丈夫。来れなくなったんだよね、また今度だね。仕事頑張ってね、今日中に帰れるように】

【ごめ~ん、頑張るよ~。気をつけて帰ってよ?】

【うん、解ってる、すぐ帰るから大丈夫】

「ん…そうは言ったものの…フフフ。はぁ、どうしよう…かな。一人になっちゃった事だし。…帰ろうかな…寄って帰ろうかな」

「アイちゃん」

……え?…ぁ。…あ。

「一人?」

あ。開いた口が、閉じてくれない。…え。

「…帰るんだろ?聞いてたんだ独り言」

……どうして。

「…し、知ってる…くせに」

これ…この口調、話し方、わざとだ…わざと。

「知ってるよ。よーく知ってる」

……そんな言い方。

「…私、…人を…待ってるんです」

「うん。だから?」

「だから…」

この言い方…、凄く久し振り、という言い方は合ってるだろうか。

「ねえ、ちょっとだけだから……つき合ってよ」

「…ちょっとだけって」

…アキちゃん、……。どうしよう、会っちゃった。…びっくりして震えが止まらない。こんな偶然はあるの…。あれからどのくらい経っただろう。会うことなんてなかった。ここに今日来る事は知らないはずだし。…本当に偶然?偶然通りかかったのだろうか。

「珈琲にする?それとも、オムバーグ?ちょっと歩いてロールキャベツにする?…新しい店でもいい。……部屋…住所、教えてよ」

「…住所は」

「言わなくていいよ。後で送るから」

「……送るって…、ちょっとだけなんて…」

「ん?」

この問い返し…好きな返事…。

「……嫌」

「ん?い、や?……それ、どういうつもりで…」

「嫌。…珈琲もオムバーグもロールキャベツも…今は要らない。もう、…ずっと一緒じゃないと…嫌、嫌なんです」

「…逢生」

迷うことなく、腕の中に飛び込んだ。……お日様の匂い…はぁ…外に居たんだ…。

「はぁぁ…会えた。凄い…久し振りだ…」

「…新しい部屋、きっと驚くから」

「ん、新しい…あれ以上に?」

「変わってない」

「ん?どういう意味だ?」

「…ギャップ」

「ギャップ?」

「…うん、はい」

「だけど…」

グー。

「あ゙。ハハハ。腹減ってるって、催促してる」

「フフ。要らないって言ったけど私もまだだから」

「じゃあ…」

「オムバーグ、食べて帰ろう?あ、私が誘ったから私が奢ります」

「ん、解った」

手を繋がれた。

「ぁ…バイト?」

仕事の業種は知らないままだ。でもこの格好は本職ではない気がした。

「あぁ、これ?…内緒だ」

「…内緒、ね」

「ああ、内緒。本職以外に頑張らないとなって、頑張ってる事があるんだ」

「ん~、よく解らない、です」

「なに、敬語に戻って。内緒じゃなきゃ意味がない事だってあるんだ」

「ん゙ー、益々解らない。あ゙…嘘…」

ドキドキ動揺して、うっかりした。かくんと体が傾いた。

「あ、ドジだな、足、大丈夫か?」

「あ、うん、大丈夫。…でもどうしよう、あ、抜けた!」

……良かった。

「…なんだ、壊れてたらおんぶしようかと思ったのに。歩けなくなるからな」

え?…フフ。嫌です。

「それは、いい、…遠慮します」

「ハハハ、恥ずかしいからな。靴、壊れてないか?」

「うん、…はい」

「ん?なんか、変だな。まあ、なら良かった。ハハハ、…壊れてたら、裸足って手もあるな」

え……あ。…フフフ。どうして…。

「…靴下、貸してくれるなら、歩きます。あ、新品なら、です」

「フ、あるよ」

え?

「ほら」

「あ、わ」

慌てた。ポケットに手を入れたから、飛んでくるものだと…思い込んだ。手を出して広げて、何もないよって、言った。

「う、そ。そんな都合よくは持ってない」

あ。フフフ。

「ん?ハハハ、引っ掛かっただろ」

「フフフ。……今日、モンブランだといいな。あ」

「大丈夫だ。俺に任せておけ、オムライスは引き受けるから」

「う、ん」

指先に探るように触れ、手を繋いだ。

「ぁ…あ、そうだ。ケーキ、今度焼いてよ、俺、誕生日、近いんだ」

「え?…うん、でも自信ないかも、です、最近焼いてないから。失敗しても食べてくれる?」

そうだよね…誕生日、まだ知らなかった。まだ知らないことばかりだ。急がない、急がないけど…知らないことは知りたい。誰にも負けないように……知りたい。私の事も知っていて欲しい。…気持ちも。

「……あ、の」

「ん?食べたいに決まってるだろ?…逢生、俺は……まだ何も、食べてないんだから…」

「……好き、です」

「ん?…逢生…」

「……好きです」

「俺はずっと好きだ。勝手に終わらせたけど終わりにするなんて出来なかった。…はぁ…待ってた、いつまでも待つつもりだった…有り難う、逢生ちゃん」
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