死にたがりティーンエイジを忘れない
智絵は文化祭の日を境に教室に来なくなった。
わたしと一緒に登下校するのも、智絵は「ごめんね」と断った。
わたしは「いいよ、気にしないで」と言うしかなかった。
教室に行けない智絵の逃避先は、保健室だった。
日直が智絵に給食と配布物を持っていった。
保健室には、教室に行けない生徒が二十人近くいた。
保健室からいちばん近い空き教室は、保健室登校の生徒の自習室だった。
智絵はそこで一人で勉強して、提出用の課題を解いた。
テストも自習室で受けた。
わたしは、空っぽになったみたいだった。
学校ではしゃべらなかったと思う。
出席日数は、欠席も多かったけれど、担任から警告されない程度だったはずだ。
ギターは部屋の隅でホコリをかぶっていった。
手の傷が治っても、弾く気が起きないまま、
いつの間にか寒い季節になって、年が明けて三学期になって、テストだらけの毎日の合間に誕生日が来て、三学期が終わった。
木場山のころの友達とは、もう完全に連絡が途絶えてしまった。
わたしが途絶えさせたんだ。
年賀状も出さなかった。
一九九九年。
ノストラダムスが予言したとおりに地球が滅ぶなら、中三の七月だ。
滅んでしまえ、と願った。
そんな中二の終わりの春休みだった。