家出令嬢ですが、のんびりお宿の看板娘はじめました
「だが俺は、この街で君と一緒にいて、君から感情が欠落しているとは思えなかった。そこであるものを持ってきてもらったんだ」
「あるもの?」
「これだ」
ザックが差し出したもの。それは、薄汚れた男物の上着と女性用のネックレスだった。ロザリーには見覚えがあるものだ。
「事故に遭ってから、異様に鼻が利くようになったと言っていただろう。おそらく、情報量が多すぎて君の体は処理しきれなくなったんだ。感情が鈍くなったり、記憶があいまいになったのは、体が自己防衛した結果だろう。そして記憶を戻すきっかけはおそらく香りだ。事故に遭ってから、実家には戻っていないと聞いた。両親のことを悲しめない原因はそこじゃないかと思うんだ」
「ザック様、それは」
「事故に遭った日に身に着けていた、君のお父上の上着とお母上のネックレスだ。ルイス男爵にできるだけ香りが濃く残っているものを、と頼んだんだ」
差し出されたそれを、ロザリーは恐る恐る手にする。
瞬間に、父の上着からふわりと香りがした。
馬車が大きく揺れた瞬間、ロザリーを守るように包んでくれた香りだ。
「……お父様」
カチャリと音を立てるネックレスからは、母が好んで使っていた香水の香りがする。品がよく、貴族であることに誇りを持っていた母だった。幼いロザリーはいつか自分もこんな素敵な香水をつけて社交界に出るのだと母を見ながら胸をときめかせたものだ。