結婚願望のない男
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週末。
私は自宅で晩御飯を食べ終えて、くつろぎながら携帯電話を手にぼんやりと考え事をしていた。
その後島崎くんの態度は何ら普段と変わることなく、結局二人で飲みに行くという話もしてこない。彼は女友達も多いし、彼にとっては女性と二人で飲みに行くなんて珍しいことではないはずだ。きっと深い意味はないんだろう…たぶん本当に私を励ましたいだけ…。
色々深読みしても頭が混乱するだけだし、そう思うようにしておこう…。
それより山神さんだ。
多めにもらってしまったタクシー代は、タイミングが後にずれるほど返しにくくなる。結婚願望云々の話をしたいのはもちろんだけど、それ以前に人としてお金は早めに返してしまいたい。
…つまりは、なんとか今日彼と約束を取り付けたいのだ。私は携帯電話を握りしめた。
何と言って誘おうか、頭の中でシミュレーションする。
(先日はご迷惑おかけしてすみませんでした、タクシー代ありがとうございました、結構お釣りが出たのでその分をお返ししたいんです、せっかくなので食事でも…)
携帯電話を握りしめてしばらく脳内で会話を繰り広げていると、手の中で突然携帯電話が震え始めた。
「えっ?」
画面を見て我が目を疑った。それは、山神さんからの着信だった。
「あ、もしもし!」
私はあわてて通話ボタンを押す。
『こんばんは。山神ですけど』
「あ、えっと、どうされましたか?」
『いや…、あの後どうなったかなと思って。元気、出た?』
山神さんが私のことを心配してくれている。まったく予想していないことで顔が熱くなった。
「おかげさまで…。職場の人にも、思ったより落ち込んでないねって言われました。本当に山神さんのおかげです。今の仕事が落ち着いたら異動も考えてみようかなって思いました。…だいぶ、冷静になれた気がします」
『ならよかった』
そう言って、山神さんは黙ってしまう。
『……』
またいつもの、沈黙。
「…あの、用件って、他に…」
何か言いたそうな気配を感じて聞いてみたものの、山神さんは『いや』と短く答えたのみだった。
「あ、じゃ、あの、ちょうどよかったです、私も電話しようと思ってたんです。いただいたタクシー代でたくさんお釣りが出たのでお金をお返ししたいと。それにお礼もかねて…その、その…一緒に食事でもいかがでしょうか!?」
(言えた!)と心の中でガッツポーズをするも、『えっ…?』と山神さんがかなり驚いたような声を出した。
「…だ、だめですか?」
『あんたこそ、いいの』
「何がです?」
『良い雰囲気の男がいるんじゃないの』
「へ?」
良い雰囲気の男?まったく心当たりがなくて私は間抜けな声を出してしまった。
『こないだ…あんたをタクシーで送った次の日、だったかな?取引先に行く途中にあの公園通ったら…見たんだけど』
「!!」
まさか、島崎くん──。
「べ、ベンチに一緒に座ってた人のこと、ですか…?」
『ああ』
(まさかあれを、あの絶妙なタイミングで見られてたの!?)
信じられなくて私は思わず早口になる。
「ち、違いますあれは!ただの後輩です!仕事が早く片付いたので休憩がてら…普通にベンチに座って普通の会話をしてただけで…」
『普通の会話であの顔の近さになるか…?』
「………」
私はがっくりと肩を落とした。
(そこまで見られてたのね…)
まさか本当に…。あれは一瞬の出来事だったというのに。