結婚願望のない男
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「その後、結婚したくない理由は聞けたんですか?」
残業中、フロア内に私と島崎くんしか残っていない薄暗い社内で、彼が声をかけてきた。
「…もうたぶん聞くことはないと思う…」
私は暗い声でそう答えた。
「どうしてですか?」
「…振られたから…」
「えっ」
島崎くんがキーボードを打つ手を止めた。
「展開が急だなぁ。結婚願望のこと聞く前に告白したんですか?」
「もう深く突っ込まないで。忘れたいから」
「じゃあとりあえず、品田さんを狙っている僕には大チャンス到来ってわけだ」
「やめてよ、からかうのは…。こないだの公園の時といい…。なんか島崎くんらしくないわよ」
「僕らしくないってなんですか?僕、からかってるつもりなんて全くないんですけど」
彼は机から何やらカサカサと音がするものを取り出し、そのまま持ってこちらにやってきた。それは個包装されたチョコレート菓子で、私の机にばらばらっと置く。
「もう一度言います、からかってないですから」
私の横に立ち、少しかがんで私の目をじっと見つめて、低い声音でそう言った。いつも弟のように愛嬌をふりまいている彼が、まったく別人の大人の男に見えた。
「…僕は最低かもしれませんね、弱っている先輩に付け込んでアプローチしようとしているんですから…」
私の返事を待たずに、彼は私の隣の席に座ってぽつぽつと話し始めた。
「でも、本気で好きなんだからしょうがないですよね。正直、品田さんのことは一年前ぐらいから気になってたんです。最初は好きっていうより、ちょっといいなってぐらいでしたけど。同じ部署だから告白したり付き合ったり振られたりってなんか気まずいし、もし品田さんに彼氏ができたらその時はすっぱりあきらめようって思ってました。それに僕…まぁ自分で言うのもなんですが、女友達は多いので様子見してるうちに気が変わることもあるかな…なんて風にも思ってましたし」
彼の目も、声も、穏やかで真剣そのものだった。もっと冗談っぽく言ってくれたら私だって何か気の利いた返しができたかもしれないのに。なのに…。こんなに真面目にこんな話をされたら…なんて言葉を返したら良いの…?
「でもある時急に…山神って人が現れた時、僕はものすごく焦りました。正直、今まで油断してました。石田先輩と二人で彼氏欲しい彼氏欲しいって言ってるもんだから、ライバルなんていないと思ってました。それがこんなに突然現れて、品田さんの心をこんなにも揺さぶってるんだから。そこで僕は自分の気持ちに気づくわけです。いつのまにか、品田さんに本気になっていた自分に。僕がここ二か月ぐらいどんなに迷って苦しんでいたか…品田さんは知らないでしょう?」