結婚願望のない男
そして後日、ワタナベ食品との第二回目の会議。
香川さんのボリューミーな要望にどう応えるかという懸念はあれど、まだ日程には余裕があって、私たちはそこそこリラックスした気持ちで打ち合わせに臨んだ。
「……!?」
ところがその日、会議室に入った途端、私はありえないものを視界に捉えて体が動かなくなってしまった。
(え、え、ちょっと待って、これは…幻覚!?)
穏やかな気分はどこかに消え去って、目の前の光景に、嫌な汗が出て来た。
「……!」
私の視線の先にいる男もまた、目を見開いて驚いた表情だ。私が入口で硬直しているのを見て、香川さんが慌てて補足する。
「あ、お伝えしていませんでしたかね。今日から商品開発担当の山神と、デザインマーケティング部の仁科も打ち合わせに加わります。ご挨拶お願いします」
「仁科です、よろしくお願いします」
仁科と呼ばれた、私たちと同世代ぐらいの男の人が名刺を差し出してきたので、私と島崎くんも慌てて名刺を取り出す。
「………山神です」
そして、不機嫌そうな顔をした山神さんも私に名刺を差し出した。それは、どこからどう見てもあの山神さんだった。幻覚ではない。
「よ、よろしくお願いします…。品田です」
(──い、一体どうして…)
私は彼の顔を直視できず、もらった名刺の文字に視線を落とす。それは彼と最初に出会ったときにもらった名刺と全く同じものだ。
(商品開発って…よりにもよって『CUREチョコ』の開発チーム所属だったってこと…?こ、こんな偶然って…)
「……島崎です」
島崎くんも山神さんと名刺交換をした。
島崎くんは『ワタナベ食品の山神』という名前だけは知っていて、さらに明らかに様子のおかしい私と山神さんの空気を見て、目の前の男がその山神だということを悟ったらしい。山神さんに鋭い視線を向けて応対する。
一方の山神さんも、私があの公園のベンチで彼に迫られているところを見ていたのだ。彼もまた、島崎くんの顔を知っているはずだ。
この二人が、まさか直接会ってしまう日が来るなんて───。
私たち三人の間に流れる空気だけが、凍ってしまったかのようだった。
けれど香川さんたちは私たちの微妙な関係性など知る由もない。私は額に嫌な汗をかきつつも、なんとか平静を装って打ち合わせに臨んだ。
全体スケジュールや分析フレームを私が、調査票の詳細についてを島崎くんが説明する。山神さんと仁科さんは初回ということでとくに口を挟むことなく黙って話を聞いていた。一通り説明が終わった後で、香川さんがいくつかの指摘をしてきた。
「まずは調査票についてなんですけど…、聞きたい質問がA案とB案に散ってしまっているんですけど、これ一緒に全部聞くことはできないんですか?」
島崎くんが答える。
「もちろんすべてを聞くことは可能ですが、そうなるとボリュームが大きくなりすぎてしまって回答の脱落者が増えてしまいます、それに予算と納期も今のご提案からオーバーしてしまいます。よりキャンペーンの効果分析に寄せたA案と、競合商品や消費者のプロフィールなどの周辺情報を厚くしたB案、できればどちらかをお選びいただきたいです。少しなら質問の追加もできますが…調査設計が少し変わってくる場合もあるので…」
「…うーん…。でも一部分しかわからないんじゃなぁ…。例えばですけど、CMに好感を持ってるかどうか聞くなら、好感を持ってくれた消費者がどのメーカーのどのお菓子が好きで、自由に使えるお金がどのくらいで…っていうことまで聞かないと、情報を活かしきれないと思うんです。…でも納期は納期で、ずらせないんですよね。うちのお偉いさんに報告する日決まってるんで…。今の納期でもう少しだけボリューム増、なんとかなりませんかね?」
(もちろん全部聞けるに越したことはないけど…それを全体のボリュームや納期とにらめっこしながら調整するって話なんだけどな…)
やや無茶を言ってくる香川さんに島崎くんも少し困った顔だ。先輩として、私も助け船を出す。
「納期は対応人員を増やせば多少融通がききます。ただ、納期固定で調査分量増加となると、特急料金と人件費分は上乗せさせていただくので、再見積もりさせていただきます」
「うう~ん…予算はなんとかなるかなぁ…、プロモーション費はこちら側でもう一度確認することにしますね。調査票は…申し訳ないんですけど再度作り直していただけますか?A案をベースに、B案の問4~6と、問13は絶対に入れてほしいです。あと細かいところはちょっと持ち帰って確認します」
「わ、わかりました…」