結婚願望のない男


午後になり、なんとか12時過ぎに仕事を終わらせた私は、デスクでカップ麺などを食べ始めている石田先輩や島崎くんに一声かけて退社した。
その足で弓弦との待ち合わせ場所に向かう。


改札を出ると、昼近くまでぐっすり寝たのであろう、ずいぶんと元気そうな顔の弓弦が待っていた。

「遅いぞ」

「ごめんなさい。でもちゃんと仕事終わらせたんだから!それより、忘れ物してないでしょうね?」

「もちろんちゃんと持ってきたよ。さ、行こうか」

弓弦は私の手をぎゅっと握って歩き出した。
平日の昼間らしく、街にはお年寄りや小さい子どもを連れた母親が多く歩いていた。それに、ここはとくにデートスポットのような場所もないから、私たちのような若いカップルは少々浮いている。


私たちの目的地は区役所だった。自動ドアをくぐり、まっすぐに戸籍課窓口に向かう。そして私たちは…記入済みの婚姻届と戸籍謄本を提出した。


書類の不備の確認や本人確認などを経て、「手続きは以上になります、おめでとうございます」と言う窓口の人の笑顔にほっと胸をなでおろした。

「これで…俺たちは夫婦なのか」

「そう…みたい、ね」

実感が湧かず少しの間そこにつっ立っていると、窓口の人が「あ、そうだ。記念写真撮りましょうか?」と声をかけてきた。

「え!?いいんですか?」

「撮っていかれる方多いですよ。今は窓口も空いてますし、どうですか。皆さんあそこの壁を背景に撮られるのでそこの前に立ってもらえますか」

そうして私たちは窓口の人に言われるまま、スマートフォンで撮影された。



「…ふふ、弓弦は相変わらず笑顔が少ないね。一生に一度の機会なんだからもっと笑ってよ」

「…仕方ないだろ、もともとそういう顔の作りなんだ。笑えって言われて簡単に笑えたら苦労しないよ。…それに」

「それに?」

「結婚式の時の写真ではたくさん笑えってどこぞの危なっかしい女に頼まれてるからな。今笑顔貯金してるところだから、こんなところでは放出しない」

「…あはは!何それ?弓弦、笑顔を貯金してるの?」

私は思わず吹き出してしまった。


弓弦と付き合って一年。彼は以前と比べれば多少口数も増えたし笑顔も増えた。でもやっぱり世間一般の人と比べればまだまだ不愛想だ。せめて結婚式の写真では幸せそうな笑顔をたくさん浮かべてほしい。と、これまでデートなどで撮った何枚もの写真を見ながら、そんな風に彼に念押ししているところだ。結婚式はまだ数か月先の予定だけれど、こんな風に笑顔貯金してくれているなら少しは期待できるのかな。一年前までは結婚願望のない男だったくせに、今では結婚式に向けてすごく前のめりになってくれている。そのことが凄く嬉しいと思う。
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