テレビの感想文
2020年に放送された『ザ・ノンフィクション』を見て、当時の私は『テレビの感想文』にその感想を書いていた。この、過去の記事を読むまで、2020年のその回を見たことも、野いちごに書いたことも、すっかり忘れていた。
5年前の私は、小堀さんに対してそんなに「あきれて」はいなかった。文章を読む限り、いまと比べると、小堀さんの言動にあきれることはあっても、怒りや嫌悪感のような、そこまでの強い感情は出ていなかったらしい。
昔は「ファン」、いまは「推し」と言うようになった。でも言葉の意味は変わらない。私なりに解釈すると、「応援したい人」を応援するのが、推し活だ。
「本気で思っているように見えない」とか、「嘘をついてる」って、人から「信用されてない」ってことだ。人から信用されない人を、応援したいと思えるだろうか。
そこが、芸人として、致命傷になっていない小堀さんは、かなりラッキーだと私は思う。周囲にいる人たちに恵まれている、というのもある。
5年前の私は、小堀さんに対してそんなに「あきれて」はいなかった。文章を読む限り、いまと比べると、小堀さんの言動にあきれることはあっても、怒りや嫌悪感のような、そこまでの強い感情は出ていなかったらしい。
昔は「ファン」、いまは「推し」と言うようになった。でも言葉の意味は変わらない。私なりに解釈すると、「応援したい人」を応援するのが、推し活だ。
「本気で思っているように見えない」とか、「嘘をついてる」って、人から「信用されてない」ってことだ。人から信用されない人を、応援したいと思えるだろうか。
そこが、芸人として、致命傷になっていない小堀さんは、かなりラッキーだと私は思う。周囲にいる人たちに恵まれている、というのもある。