Ignition
「俺はここで待ってるから、二人で見ておいで」
財布ごと桐谷に渡して、新井はベンチに腰を下ろした。

 やはり、買い物には仕事とはまた別の疲れがあるものだ。いや、それ以前に茶の一杯を啜るでもなく四時間以上歩かされていれば、誰だって疲れる。

 こうやって女性の買い物に振り回されるのも、離婚した妻とまだ交際していた頃だったか、仕事を始める前の話だったか。

曖昧な記憶を辿りながら、煌びやかに飾られたウィンドウに並ぶ、下着姿のマネキンを眺めた。表にまでおおっぴらにディスプレイを並べるようになるとは、あの頃とは時代も随分変わった。

 ガラス張りの店内に、いつになく真剣な顔つきで、鏡と向き合う桐谷が見える。ワンピースの上からショーツをあてる姿には思わず笑ってしまったが、普段見られない部下の一面に新鮮さはある。

美香と二人で話しているときの桐谷には、驚くほど角がない。買い物に夢中になる二人を微笑ましい気持ちで眺めていると、ふいに、今朝言われた「スウェットを下ろす」という戯言が浮かび、新井は一人咳払いをした。
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