発つ者記憶に残らず【完】
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*


それから1晩が経ちフォルテが嫁いでいったためこの城には兄2人と私のみとなった。

危惧していたヨハンからの嫌がらせはないものの、一緒に食事をとらなくなった彼への警戒は解けずさらに強まった。いつ何時どこでどのように仕掛けられるかわからず、私は1人で王宮の中ですら出歩くことができなくなり少し気が滅入っている。

というのも、ノイシュがそうさせてくれないのだ。必ず彼の部下がどこに行くにも同行し、流石にプライバシーの侵害だと言えるところまでは来ないけど何かとついてきてちょっと落ち着かない。

私は誰かの後ろを常に歩いていたい質だ。


「…あれっ」


朝食の時間になるとマーガレットではなくトーレンが迎えに来た。ノックされドアを開けるといつもと変わらず自信のない立ち姿が目に入り思わず声が漏れる。


「マーガレットじゃないの?」

「マーガレットさんはお父様の体調が良くないということで帰省することになりました」


…まあ、そういうことにしておいてあげよう。

"私は明日から夫と共に暮らすことになりました"と、昨夜事前にマーガレットから言われていたものの、トーレンの嘘に乗ってみた。なかなかの名演技だったかな?

マーガレットは実は婚約はしていたものの、ここでの仕事を辞める気になれず単身赴任でここで生活していたらしい。私はそのことをワインで汚れたドレスを渡しながらサラッと言われたためすぐに反応できなかった。

"子供も大きくなってしまいもう母親面などしたところで…と私は思っておりましたが、夫がどうしても、と"

そして子供もいることがわかり私は絶句してすぐには何も言えず開いた口が塞がらなかった。気づいて口を閉じるとガチっと歯が鳴った。

"誠に勝手ではございますが、明朝にここを発ちます。今までありがとうございました"

そして早口にそう言うと深くお辞儀をしたマーガレットは呆気にとられる私を置いて部屋を出て行き、もちろんそれきり会うこともなく、こうして現れたトーレンを見て本当だったのか、とようやく飲み込むことができた。しかし、どうなんだろう。

以前のディアンヌを知る者がどんどんと減っていく。それは私がここでいろいろとやりやすくなることを意味しているが、情報を得る機会が減ってしまうということにも繋がる。マーガレットも、ノイシュの部下の存在でお役御免をしてもいいだろう、と判断したと考えられるがそれはまだ早とちりというもの。

だって男所帯じゃないか…

部屋の掃除とか誰がしてくれるのよ、と思ったけどそもそも私は根っからの王女ではないことを思い出しトーレンに話してそのことは解決させた。OLの一人暮らし術を侮ってもらっては困る。所帯じみた1面を見せられトーレンは面食らっていたけどそんなのは気にしない。

呆けてないでさっさと雑巾とバケツ、ホウキ、ちりとり、ハタキを寄越しなさい、というだけのことだ。

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