恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「ふれあい動物園に行くと、いつもいたお兄ちゃんがいたんです」

「そういうことか、川瀬がいくつぐらいのときだ?」

「幼稚園くらいでした」
「その男の子は何歳ぐらいだったんだ?」
「五つくらい上だと思います」

 院長が、よくわかったって言うように深々と頷いた。

「お兄ちゃんが、怖がる私にいろいろな動物を触らせてくれたんです」

「動物を怖がる川瀬が想像できない」

「ですよね。『大丈夫、僕がいる。怖くないからおいで』って、手をつないでくれて。お兄ちゃんの言葉を聞くと、安心して触れられたんです」

 ニワトリを、いともたやすく抱き上げてみせた。

「凄いと思いませんか、お兄ちゃんがコツを
教えてくれたんです」

「素早くて、小回りが利くニワトリを捕まえるとは、たいしたもんだ」
「お兄ちゃんの教え方がよかったんです」

 コツさえつかめばニワトリは暴れることも鳴くこともなく、おとなしい。

「手を洗ってきます」
 念入りに洗い、すぐに戻って来た。

「お兄ちゃんが、しっかりと手を洗うことの大切さも教えてくれたんです」

「勤務中もそうだな。教えをずっと守っているのか、しょっちゅう手を洗っている」

「はい。お兄ちゃんが教えてくれたおかげで、常に消毒のように手を洗う習慣が身について、今に至ってます」

「いい習慣だな」

「おチビちゃん、可愛いね、真っ白で可愛い」
 スカートに気をつけて、子山羊の前でしゃがんで声をかけた。

 院長も私の隣にしゃがみ、スカートを気にかけて、周りに集まる山羊たちを見張ってくれる。

『距離が近い、離れろ』がない。仕事中だけなのかな。

 というか、初めて院長から私の隣にしゃがんできた。スカートを心配してくれているんだね。

「八月が山羊の出産シーズンなんですって。今の時期に来ると、山羊の赤ちゃんがたくさんいるって、お兄ちゃんが教えてくれたから来たかったんです」

 院長がスカートの裾をずっと持って、山羊から守ってくれているから、安心しておチビちゃんたちと遊べる。

「あの頂上にいるの、あのくらいの山羊に突き上げられたんですか」
 立派な角を持つ、茶色い大きなオス山羊がいた。

「そうだな、大きさはあんなもんだった。ここの山羊は、ふれあい動物園用に温和で穏やかな子だけだが、牧場のは荒くれで気性が荒いのもいた」

「私、それは怖い」
「大丈夫、俺がいる」

 優しい瞳が、じっと見つめる。院長の言葉を聞くと安心して触れられそうな気がする。

「院長」
「お腹がすいたんだな」
「どうして、わかったんですか」

「ニワトリや山羊のうしろをついて回って、駆けづり回って遊んでいたのに、しゃがみ込んだから、お腹がすいたんだろうと思った」

「ぺこぺこです。子どものときから、お腹がすくと座ってました」

「変わらないんだな。場所はウッドテーブルか、それとも芝生がいいのか?」
 それ知っているの?

「院長も、ふれあい動物園に来たことあるんでしたっけ」
「何回か」
「デートですか」
「気になるのか」
 ふんって鼻を鳴らして笑っている。

「芝生がいいです」
「ふれあい動物園で、一番大きな木の下が特等席だ」

「うちの家族もそうでした。いつも大きな木の下で、お弁当を食べてました」

「行こ」
 院長が、ぼそっと囁く。

 二重扉を開けてくれて、山羊とニワトリのエリアを出て、ロバやラマや乗馬体験のエリアを通り、長い並木道を抜けて芝生についた。
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