恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 オーナーを見送るために、お辞儀をしていた頭を上げると、さっさと洗面所に向かう院長の姿が見えたから足早に追いかける。

「お疲れ様です」
「お疲れ様、なにか?」

 手を洗いながら鼻柱ひとつ動かさない冷静な顔で、不安な私を見下ろしてきた。

「私のかけた言葉は前向きでしたのに、オーナーの目は怒っていました」

 言葉を選ぼうとしているのか、一呼吸おいてから院長が話し始めた。

「治る見込みがあるのなら、川瀬の励まし方で問題はない。今のルカの状態で、あの励まし方。自分がオーナーだったらどう感じるか考えてから発言してみたらどうだ?」
 
 食事を終えた患畜たちが、思いおもいにくつろぎ静寂が包む入院室内は、ただでさえ緊張するのに額にぴくりとしわが入った院長の顔を見て、さらに緊張した。

 頭の中を猛スピードで、さっきの会話がぐるぐると駆け巡る。

「オーナーは、ルカが辛そうにしている姿を目の当たりにする。しかし、ルカに替わって痛みを引き受けてあげることができない。それは、自分の体を切り刻まれるような苦しみだ。わかるか?」

 人間でいうところの、愛するわが子を想う母親の心境と同じだって。

 さっきもオーナーはルカを撫でながら、『辛い想いをさせてごめんね』って、何度も繰り返していた。

 解決してあげたい、どうしたらいいの?

「なんとか今すぐ解決してあげないとって思って、声がけをしてます」

「ほとんどのオーナーに必要なものは、なんだと思う? 回答ではなく、聞き手を必要としている」

「回答」
 眉間にしわを寄せて、唇に触れる指先を小さく左右に揺らすも、答えが思い浮かばない。

「解決しようと思うな。答えを探そうとするな」

「さっきの私の対応は、オーナーに回答を与えようとしているわけですね」

 相づちのように院長が頷く。

 オーナーから悩みや相談を打ち明けられると、つい解決しようと頑張ってしまった。

「オーナーが必要としているのは聞き役だ。オーナーの気持ちを受け止め、寄り添うことを心がけろ」

 たしかに、さっきの院長は徹底してルカのオーナーの聞き役だった。

「オーナーは、自分はなにもしてあげられない無力感と、胸がえぐられるほどの自責の念に、寝ても覚めてもさいなまれる」

 しばらく観察するように、じっと見てくる。

「オーナーの辛さが想像してあげられないか。オーナーの立場になって、自分を置き換えて考えてあげられないか」

 強い瞳に捉えられた全身は、身動きがとれない。
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