恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 ベッドの上と身支度を整え、部屋をあとにして、リビングに行ったらテーブルに置き手紙があった。

 院長はノインと大恩と走りに行っているんだ。

 ノインも大恩も元気だから心配するなって書いてある。よかった、風邪を引かなくて。

 風邪を引いてはいないか心配する、私の性格をちゃんとわかってくれている。

 茶トラちゃんはどうかな。勝手に部屋には入れないし。院長だもん、世話をしてから出発したよね。

 わざわざ朝食まで作ってくれてある。昨夜のカレーライスでよかったのに。

 眠ってばかりで申し訳ないな。

 これは、居心地がいい部屋と寝心地がいいベッドのせいだから仕方がない。
 なんて言ったらバチが当たっちゃうね。

 それもあるけれど夢に出てきてくれたお父さんのおかげで、ぐっすり眠れた。

 今でもママが想い出話で言うの。
 “子どものころ、お父さんが撫でてくれると、毬の寝つきがよかった”って。

 まだ、さっきの夢の中の感触が残っている。優しいお父さんの感触が。髪の毛にも、おでこにも。

 夢って目が覚めても、しばらく感触が残る。

 六歳でお別れして十六年経った今でも、お父さんを忘れることがないのは、こうして夢で逢えるから。
 とっても嬉しい、私には幸せ。

 朝食をいただき、片付けをして入院室に下りた。

 入院患畜を見て回っていたら、二階に上がってくる院長の足音が、ゆっくりゆっくり少しずつ、私に近づいてくる。

 逸る私の気持ちを焦らすように、ゆっくりとドアを開けた院長の笑顔が眩しくて、瞳がきらめくのが自分でもわかる。

「おはよう、眠たがり。起きてこないのかと思った」

「おはようございます、またお世話になりました。院長のお部屋は居心地がよくて、ぐっすり眠れます」

「寝つきもいい」
 どうして、私の寝つきを知っているの? 変なの。

「それに」
「それに?」
「朝食まで、ごちそうさまです。おいしくいただきました」

 下げた頭を上げると、院長の広い胸に抱かれて、子猫がすやすや眠っているのが見えた。

「お手紙ありがとうございます」

 スクラブのポケットから出して見せたら、院長ったら、すっと顔を下にそらしちゃった。

「そんなのは、わざわざ持っているものではない」

「生まれて初めて男の人からいただいたから嬉しいんです」
 “男の人”じゃなくて、“院長”からって言える性格だったらいいのに。

 院長は聞いているのか聞いていないのか、茶トラちゃんを撫でている。

「ノインと大恩は大丈夫ですね」
「今朝も健康優良児たちは元気に走り回っていた」
「風邪を引かなくてよかった」

 胸に抱く茶トラちゃんに向いていた、院長の視線が私に移った。

「子猫の目やにや鼻が落ち着いてきた」
「よかったです。さすが院長」

「よく寝るのは川瀬と似ている」
 院長が愛しそうに子猫の綿毛を撫でる。

「ここからは川瀬にバトンタッチだ。給餌と排泄。あとグルーミングをしてあげてくれ」
「はい」

 元気な声で返事をしたら、院長が口角を上げて大きく頷いた。

 院長の大きな手から私の手へ子猫が手渡されるときに、二人の腕が絡み合った。

 その瞬間、全身の血液が煮えたぎるような熱さを感じ逆流した。
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