恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「お姉ちゃん、こんにちは」
 莉沙ちゃんだ。

 院長、莉沙ちゃんがいたから嬉しくて愛想がよかったんだ。

「莉沙ちゃん、いらっしゃい。こんにちは」
 今日も院長の足に絡みつき、長い足のあいだから顔を出して笑っている。

「先生、ハッピーは?」
 ハッピー? 院長に視線を移すと困ったように苦笑いを浮かべ、首を傾げた。

「莉沙ちゃん、ハッピーは少しずつ元気になっているよ」
 院長が、ひょいと莉沙ちゃんを軽く抱き上げ、茶トラちゃんのケージに向かった。

 去勢した野良猫の様子を見て戻って来たら、院長が茶トラちゃんを診察台に乗せて、莉沙ちゃんに触れさせていた。

「お姉ちゃん。ちゃんと、お手々洗った? 莉沙と先生は洗ったよ」

「はい、お姉ちゃんも洗ってきました」
 両手を胸もとで、ひらひら振ってみせた。

「お姉ちゃんも合格」
「しっかりした子だ」
 院長が耳もとで囁く。

「よく手を洗うんだよって、先生が教えてくれたでしょ。だから莉沙、これからも一生懸命に洗うの」

 院長と顔を見合わせて、鏡みたいに苦笑いを浮かべた。

「今、俺が言ったことを聞いていたんだな」
「ですね」
 莉沙ちゃんに聞こえないように囁き合った。

「莉沙ちゃん、子猫にハッピーって名づけてしまった」
 続けて、そう囁いてきた。

「ハッピーって幸せって意味なんでしょう? だからハッピーにしたの」

「まいったな、おとなの話を聞いている。おちおち内緒話もできないな」

 またまた耳もとで囁く。

 笑い声交りだから、私の耳に院長の息が吹きかかり、ただでさえ囁かれて熱いのに、院長の息が私の体の中を熱くする。

 院長は、莉沙ちゃんにわかりやすくハッピーの様子や症状を説明してあげた。

 これで莉沙ちゃんにもハッピーが少しずつ治ってきているのがわかって安心した。

「まだハッピーは、お風邪を引いているからお部屋に戻してあげようね」
「はい」
「返事がいいな、いい子だ」

 また、ひょいと軽く莉沙ちゃんを抱き上げ、子猫を包み込むように胸に収め、院長が子猫をケージの中に寝かせて戻って来た。

 莉沙ちゃんは人懐こいから、院長にべったりくっついて離れない。

 ハッピーの話が一段階すると、学校の話やご家族の話を一生懸命に聞かせてくれる。

「さあ、莉沙ちゃん、そろそろ帰ろうか」
「先生、また送ってくれる?」
「もちろん送るよ。ひとりでは帰さないよ」

 きゃあああ、二人でとろけそうな笑顔で見つめ合って恋人同士みたい。なんか熱くなってきた。

「明日は何時に来ていい?」
「明日は大きな手術が入っているんだ。ごめんね、明後日でいいかな」

 院長の申し訳なさそうな表情と口調に同調するように、莉沙ちゃんの長い睫毛が寂しそうに影を落とした。

「ハッピーをよろしくね」
「任せて。明後日にはハッピーは元気になっているよ。今よりも、もっとね。だから楽しみに逢いに来てあげて」

「ありがとう」
 院長が小さく「行こ」って言って、莉沙ちゃんの手をつないだ。

「すぐに帰ってくるから」
「いってらっしゃいませ」
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