恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 オーナーが受付にいる院長に質問していて解放しない。

 院長も動物のことだから、オーナーの言い分に熱心に耳を傾けて説明する。

 香さんがさりげなく事務手続きを促して、それを機に院長はオーナーに挨拶して、薬棚の方へ歩いて来た。

「遅くまで、お疲れ様です」
「お疲れ様。遅くなって、こっちこそごめん」
「いいえ、とんでもないです。急患が入らなかっただけ幸いです」
「そうだな。もう上がれ」
「香さんに挨拶してから、上がります」

 黙って頷く院長は疲れも見せずに、ピンと伸びた背筋で颯爽と待機室へ向かう。

 やっと帰ったから、薬棚の前から速攻出て行ったら、香さんのほうがひと足早く入口のドアにカギをかけていた。

「お疲れ様です。すみません、私がカギをかけるのが遅くて」
「なに言ってるの、川瀬さんは遅くなかったわよ。閉院したのにオーナーが非常識なのよ」

「緊急でもないのに、閉院直後に新規でワクチン。それはないと思います」
「私も意識は業務終了だったから、モチベーション下がったわ」
 首を軽く回して、香さんもお疲れモード。

「わかります。モチベーションは徐々に上がるから、今みたいな時間外でワクチン新規だと、なかなか上がりませんよね」
「ね、疲れちゃったわよ」
 本当、疲れた。まいった。

「緊急だと下がったモチベーションが一気に元に戻って、助けるって目標がぶれないんですよ」

「明彦とあなたに患畜を助けてもらわないと、受付の私はオーナーから怒りのはけ口で、理不尽なことをぶつけられるから、その言葉は頼もしいわ」

「たまに、いらっしゃいますよね。オーナーのお気持ちも、わからなくもないですが」

 オーナーは院長に言えないことや、やり場のない感情の矛先を動物看護師にもだけれど、それ以上に受付の香さんに向けてくる。

「香さんに負担をかけないように、これからも頑張ります」
「これからも明彦と二人で力を合わせて頑張ってね、頼むわよ」
「はい」
 あてにされるって、どんなに嬉しいことか。自然と大きな返事になる。

「明彦は、掃除とかレジ締めとか帰りの準備をしないから、一日の業務の終わりの実感がないのよ。いつでも診察モードだから、平然としてたでしょ」

 海知先生が前に言っていたように、香さんがすっきりするまで話してもらおうと、黙って聞いた。

「私たちにとっては、当然じゃないわよね。あれじゃあ、あの子に川瀬さんや私の気持ちは理解できないわ」

「院長は動物が大好きだから、疲れてても眠くても、いつでもどんな子でも診察となれば動けるんです」
「え? ええ。そ、そうね」

「たとえワクチンで来ても、もしかしたら病気になってないかも気にかけてくれて、手を抜かないで、今みたいに一生懸命オーナーに付き合ってくれるんです」

「か、川瀬さんの言う通りね。そ、そこまで庇ってくれて、明彦が聞いたら喜ぶわ。う、うん喜ぶ」
 香さんが引き気味なのは、どうして。

「非常識なオーナーにはイラっとさせられました。でも院長のことは尊敬しています」

「うん、あ、ありがとう。あ、明彦を想ってくれて嬉しいわ」

 香さんったら、ぽかんとして。こくこく頷きながら珍獣を見る目で、まじまじと私を見ている。
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