恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 今日もにぎやかな朝を迎え、院長と入院室に上がり、それぞれ処置と患畜の世話を始めた。

 PHSが鳴ったから出たら、池峰ノンネが来院したって。また?

「昨日の池峰ノンネが来院です。問診行ってきます」
「ノンネどうしたんだ、俺もすぐに行く」

 受付に下りたら、香さんからカルテを手渡された。

「ノンネ、どうしたんですか」
「爪切りですって」

「それなら、院長呼ばなくていいですよ。香さん、ノンネ抱っこしててください」

「そうね、伝えるわ」
「預かってきます」
「お願いね」

 診察室を横切り、待合室のオーナーに声をかけたら、昨日のことを気にしている様子。いちおう良心はあるみたいね。

「ノンネちゃん、今日は爪切りですね」
「お願いします」
「お預かりして切ってきますね」

「診察は」
「爪切りですから、診察はしなくても大丈夫ですよ」
「ああ、そうですか」

 語尾に点々がついたような、声のトーンが残念そう。
 動物病院に来て、がっかりするなんて変わったオーナー。

 そのままノンネを預かり診察室に入って、香さんを呼んだ。

「今日は爪切りだから、診察はない旨を伝えたら、オーナーがっかりした声でしたよ」
 小声で囁くように話しかけた。

「珍しいわね、診察ないほうが健康でいいのにね」
 頷きながら、香さんにノンネを抱っこしてもらう。

「ノンネは爪切りは慣れてるかな。すぐ終わるから、いい子にできるよね」

 大丈夫ね、おとなしい。そんなに切るほど伸びていないなあ。

「ノンネのことで、なにか気がかりなことがあるのかしらね」
「爪切りが終わったら、聞いてみます」
「ありがとう、お願いね」

「ノンネ、終わったよ、いい子だったね」
 爪切りが終わって、ノンネをオーナーに返したときに聞いてみた。

「ノンネちゃんのことで、なにか気にかかることがございますか」 

 突然の質問だったみたいで、目をあちこち泳がせて考えを巡らせている様子。

「あっ、夏場の過ごし方とか」
 とか? また語尾に点々がつく。そのあとに続く言葉は、なに?

「ノンネちゃんの夏場の過ごし方ですか」

 頭の中が整理できていないようだけれど、必死に巻き返そうとしている。

「そうです、熱中症予防。それを院長にお聞きしたいんです」
 戸惑っていた顔が、うまいアイデアが浮かんだみたいで、パッと笑顔に溢れる。

「それなら私からでも説明できますし、受付の保科さんはベテランなのでお詳しいですよ」
「お願いします」

 愛犬の悩みが解消されるのに、なぜかがっかりした感じに見えるの。

 診察室へ入っていただき、説明すると理解しているみたいで、特に質問をしてくることもなく終わった。

 会計中も診察室のほうを凝視している。

 帰りに病院の入口のドアを閉めて、歩きながらまでオーナーは、キョロキョロと大きなウインドウ越しに院内を見ていた。

 歩きながらよそ見、気をつけてくださいよ。

「熱中症について院長にお聞きしたかったそうですが、私でもできますので説明しました」

 入院室に行って院長に報告した。

「ありがとう。どこか調子が悪いのかと心配したが、そういうことか。安心した」

 こうして穏やかで平和な日は安心する。

 散歩よりごはんより、なによりも家族といることが幸せな寂しがり屋さんのバディは、てんかん発作が落ち着いたから、夕方に退院した。
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