Adagio
■6

 坂巻はあの日、何を思っただろうか。朝からお気に入りのウバを淹れても、ランチに数量限定の希少なキーマカリーパンを用意してみても、気持ちに区切りがつかない。

気がつけば、あの日の坂巻の表情ばかりを思い起こしている。有紗はリサイクル用の社内封筒とクリアファイルを仕分けしながら、そっとため息を落とした。

 他に考えなくてはいけないことはある。宇美から出された宿題の回答期限は、いよいよ明日に迫っている。

宇美のような慧眼の持ち主ならともかく、そうでなければ、対面する前からあらかじめ頭の中で解答を用意しておかなくてはならない。それなのに、そんな気分にもなれないまま、ここまできてしまった。

 明日の会議では坂巻と顔を合わすことになる。あの日は気を遣ってくれたが、次はもう以前のように何気ない話すらできないかもしれない。そんな寂しさをほんの少し想像しただけで、目に涙が滲む。
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