Adagio
「もし俺が宇美さんの部下で、自分か綿貫さんどちらかを採用するとなったら、迷わず綿貫さんを選びますが」

「えっ?」
 不可解そうな顔をした有紗に、神長はにこりとした。

「そういえば、大丈夫ですか。もうすぐ駅ですが。コンビニかどこかへ行くつもりだったのでは」
「あれ。どうしてわかったんですか?」

「上着を羽織っていませんし、もしランチに出るつもりなら、今俺と話をしていないでしょうし。このあたりはどの店も混むでしょう。オフィス街ですから」

 有紗はあらためて自分の服装を確認した。緊張で寒さも感じなかったが、確かに上着を羽織らないまま出てきてしまったようだった。

「すごい、神長さん、探偵さんみたいです」
「ああ、実は学生の頃に少しアルバイトを」

「ええ?!」
「というのは冗談ですが」

「今、ほんっきで真に受けちゃいました」
 張っていた気が一気に抜けて、有紗は神長の腕を掴んだ。

 ふと向けられた先ほどよりも少し優しげな眼差しに、出会いがしらとは違った緊張が襲う。あわてて手を離したあとに、どっと汗が噴き出した。
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