レフティ
ビルの最上階の着付け教室。
エレベーターに最後に残ったのは私たち2人だけで、その数秒間は微妙な沈黙が漂っていた。
6階で扉が開き、先生は教室の鍵を開ける。
「んー、この辺置いとく?」
いつもの和室に入ると、本コースに通う生徒さんたちの荷物置き場の片隅を、先生が指差した。
「あ、はい。なんかすいません…これ本当は本コースの方々の場所ですよね…」
「まーね。でも大丈夫。俺が先生だから」
「あは、ありがとうございます」
ワンマン気味の頼もしい先生の姿に、口元が緩んだ。
「そういえば先生、両利きなら教えてくれたらよかったじゃないですか。だから左利きに詳しかったんですね~」
先生に言われた場所のなるべく端の方に荷物を押し込みながら言うと、後ろから乾いた笑いが聞こえた。
「なりたくて両利きになったわけでもないんだよね」
最低限の照明しかついていない薄暗い教室。
先生のその表情を正確に読み取ることは難しかったが、おそらくそれには悲しさが含まれていたように私には見えた。
「先生…?」
思わず伸ばしてしまった左手は、先生の髪に触れていた。
ワックスで固められていてもわかる、柔らかな髪。
「…なに?」
私を見下ろすその目は、やっぱり悲しさを含んでいるに違いなかった。
どうにかしてあげたい、その思いとは裏腹に、そんな先生の表情に胸が苦しくなっている自分がいる。
なんと声を掛けたらいいのか、私にはわからなかった。
「…桃田さん。そういうとこだよ」
先生の唇が、私の唇に軽く触れた。
唇を離した先生と目が合うと、引き寄せられるようにもう一度唇が重なる。
今度はさっきより少しだけ長い時間。
見上げた先生の瞳には、少しだけ熱が戻ったような気がした。