レフティ

「……やめたくないです」

菊池さんが帰って2人きりになった和室で、私は正座をして先生に懇願した。

すると、しゃっくりのようにひっひっという笑い声が小さく部屋に響く。

「え?」

「言わないでしょ、さすがにそれは」

顔をあげた先にいた先生は、あの日の先生の顔になって目に涙を浮かべ苦しそうに笑っていた。

「だって、コースのことでって言ったから!」

「口実口実。ただ話したかっただけだよ」

― ちょっと…え?なにを?

淡い期待に胸が一層高鳴った。


「旅行の日程なんだけど」

「…あ、あぁ…旅行…」

いや何期待してたんだ今、私。
自分で自分を戒め続けた。
そんなに人生都合よくいくわけないだろう。

先生は着直したはずの着物をまた脱ぎながら、2週間後の金曜日からの1泊2日でどうかと提案をする。

「や、いいですけど、なんでまた脱いでんですか?」

さっきまでは菊池さんがいたからよかったが、2人きりになるとやっぱりそれを直視するのには勇気がいる。
この前あんなことがあったから、余計にだ。

「ん、もう今日終わりだから~。飲み行く?2人で」

“2人で”、その言葉にあの夜の彼の言葉を思い出していた。
目の前で含み笑いをする先生を見る限り、たぶん話は繋がっている気がする。

「2人はちょっと…どうなんでしょう…」

私は手元の着付けグッズの入ったバッグをぎゅっと抱いて、先生から目を逸らした。
アルコールの入っていない自分では、あの日のように大胆なことはもちろんできない。

「…もしかして、この前のこと気にしてる?」

「いやそういうわけじゃ…ほら、先生に警戒心ないって言われたし」

思いついたちょうどいい言い訳だったが、着物をたたんでいたはずの先生は、いつの間にか目の前に迫っていた。

「それはさ~もう手遅れじゃん。今も2人だし」

不意に伸びた先生の左手は、私の頬に触れるのかと思いきや、後ろで1つに束ねていた髪の毛を解いた。
そんなことをされたら、普通の人間なら顔をあげてしまうわけで。

そうしたらもう最後。先生から目が離せなくなる。


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