アイツが仕掛ける危険な罠=それは、蜜色の誘惑。【完】
「なっ、並木主任……」
「お前にちょっと話しがある」
……私に話し?
歓迎会が行われている個室とは反対の方向に歩き出す並木主任。避難誘導灯が光る非常口の前に立つと辺りを気にしながら鉄の扉を開ける。
鉄柵だけの非常階段は冷たい夜風が吹き抜け思った以上に寒い。堪らず身を屈めスーツのポケットに手を突っ込む。その様子を見た並木主任がさり気なく風上に立ち、そっと私の腰に手をまわした。
「悪いな。誰にも聞かれたくない話しなんだ……」
久しぶりに感じる彼の体温と謎めいたその言葉に心臓がドクリと音を立て、凍りつくような寒さの中に居るにも関わらず、頬が熱く火照る。
「な、なんですか?」
「さっき、俺が言ったことなんだが……」
並木主任が言ったこととは、私が彼を振ったというあの奇妙な発言のことだった。
「会社では、お前が俺を振った……そういうことにしておいてくれ」
「ちょっと待ってください。理由は? どうしてそういうことにしなきゃいけないんですか?」
「今は説明している時間がない。とにかくお前は、未練たらしくちょっかいを出してくる俺を鬱陶しく思っている。そういう風に振舞うんだ。いいな?」
全くもって意味不明。けれど並木主任の顔は真剣そのもの。冗談を言っているようには見えない。
しかし主任の時ならまだしも、常務である並木主任にそんな態度を取れば、根本課長が黙っていないだろうし、どうしたものかと返事を渋っていると「なぁに、いつも通りでいいんだよ」なんて嫌味なことを言う。
「お前は普段から俺に反抗的だからな。そのままでいい」