アイツが仕掛ける危険な罠=それは、蜜色の誘惑。【完】
並木主任、私のことそんな風に思っていたんだ……まぁでも、確かに素直じゃないけど……
必ず後で理由を教えると言う並木主任に「絶対ですよ」と念を押し、取りあえず頷く。
「じゃあ、お前は戻れ。俺は少し経ってから行くから」
やけに用心深いその態度に疑念を抱きながらドアノブに手を掛けると、並木主任が「あ、それと、もうひとつ」と言って私を引き止める。
「いつまで俺のことを並木主任って呼ぶつもりだ? 根本が言っていたように、もう並木愁って人間は居ないんだ。これからは並木じゃなく八神。いいな?」
その言葉を聞いた直後、一際強い北風が私の髪を乱し、同時に心の中でも冷たい風が吹き抜けていった。
そうなんだ。私が好きだった並木主任は、もう居ないんだ……
消え入りそうな声で「はい」と返事をし、重い鉄の扉を開けると、トイレの中を覗き込んでいる栗山さんの姿が視界入って慌てて後ろ手で扉を閉める。
「あ、新田さん、そこに居たの?」
笑顔になった栗山さんが駆け寄って来る。栗山さんは、なかなか戻って来ない私を心配して様子を見に来てくれたようだ。
「ごめんね、ちょっと飲み過ぎちゃって……外で酔いを醒ましてたの」
「なんだ、そうだったの。大丈夫?」
「う、うん、もう平気」
彼にあんなことを言われたばかりだから本当のことが言えず、栗山さんの腕を掴み速足で歩き出す。
「あ、それと、八神常務見なかった? 常務も電話が入ったって出てったきり戻って来なくて……」
「さあ~? 電話なら外に出たんじゃない?」
他の人ならともかく、親しい栗山さんに嘘を付くのは気が引けて胸がチクリと痛んだ。