アイツが仕掛ける危険な罠=それは、蜜色の誘惑。【完】
私と栗山さんが個室に戻って十分後、並木主任が何食わぬ顔で戻って来た。いや、並木主任じゃないよね。"八神常務"そう呼ばなきゃいけなかったんだ。
ただ呼び名を変えるだけなのに、なんだか無性に寂しくて気持ちが沈んでいく。
それから程なくして居酒屋を出た私達は二次会へ向かう為、大通りに出てアプリで呼んだタクシーを待っていた。けれど、すっかりテンションが下がった私は、できるものならこのまま帰りたいと思っていた。
でも、一応、私の歓迎会だし、付き合わないと悪いよね……
伏し目がちに白い息を吐き出すと、居酒屋で私の前に座っていた元木さんが近付いて来て小声で話し掛けてくる。
「具合悪そうですけど、大丈夫ですか?」
「え、ええ……ちょっと疲れただけだから……」
「出勤初日なんですから疲れて当然です。無理しないでくださいね」
なんて優しいいい娘なんだろう。でも、自己アピールがハンパない秘書課では、こういう控えめなタイプの娘は苦労が多いんじゃないかな。
勝手に想像して同情していたら、私達の会話を聞いていた栗山さんも心配して「気分悪いの?」と声を掛けてくれた。
そこへ二台のタクシーが到着し、八神常務が私を呼ぶ。が、彼と一緒のタクシーに乗る気満々の根本課長や同僚達が八神常務を取り囲み強引に腕を引っ張って我先にとタクシーに乗り込む。
私達三人はその凄まじい光景にドン引き。八神常務を乗せたタクシーが動き出し走り去った後も暫く顔を見合わせ苦笑いを浮かべていた。