アイツが仕掛ける危険な罠=それは、蜜色の誘惑。【完】
あぁ~どうしよう……強がってあんなこと言わなければよかった……
後悔先に立たずとは、まさしくこのことだ。こうなったら恥を忍んで真実を話し、Uターンしてもらうしかない。
勇気を振り絞り、隣の並木主任に声を掛けようとした時、車はホテル街を抜けて細い横道に入って行く。
あれ? ラブホじゃないの?
暫く走ると白い三角屋根が視界に入り、車はその手前の駐車場で静かに止まった。
「あ、ここは……」
「俺のお気に入りの温泉だ」
確か私も子供の頃、両親に連れられてよくこの温泉に来ていた。でも最近はその存在さえもすっかり忘れていた。
「並木主任、こんな所に来てたんですか? 街の中にはもっと綺麗なスーパー銭湯とかあるのに……」
「バーカ! 温泉ってのはな、情緒がなきゃいけないんだ。それに、ここの湯は凄くいい。疲れがよく取れる」
嬉しそうに車を降りて行く並木主任の後を追い私も温泉の玄関を入ると、なんだか懐かしい匂いがして幼かった頃を思い出す。
そうすると当時のことが次々に蘇ってきてついお喋りになっていた。
「あぁ、そうだ。この木の下駄箱。私はいつも一番上の右端のボックスに靴を入れていたんですよ。でも小さかったから手が届かなくて父さんに抱っこしてもらって入れていたんです」
「ほーっ、親父さんと来てたのか。じゃあ、今度、親父さんを誘って入りに来たらどうだ? たまには親孝行した方がいいぞ」
親孝行……
その言葉を聞いた瞬間、一気にテンションが下がり、並木主任から目を逸らしていた。
「それは……無理です。親孝行はできません」
「なんで?」
「……私の父は、五年前に亡くなりましたから」