君の手が道しるべ
甘い拉致。
翌週の金曜日。

 2時間ほどの残業を終えて駅に向かっていると、突然背後から声をかけられた。

「まっすぐ家に帰るんですか?」

 振り返ると、カバンを提げた大倉主査が大股で私を追いかけてきていた。私は少しだけ歩調を緩めたけど、立ち止まりはせずに答えた。

「まっすぐ家に帰りますけど、何か」

「じゃあ寄り道していきませんか?」

 背が高く脚も長い大倉主査は、あっという間に私に追いついてそう言った。手にしたカバンは会社のものではなく、洗練された黒いブリーフケースだ。私物を持っているところを見ると、大倉主査も同じタイミングで仕事を切り上げてきたらしい。

「寄り道?」

「ええ。せっかくの金曜日ですし。この前いい店見つけたんで、行きませんか?」

 大倉主査は奥二重の瞳を楽しげに輝かせた。

「……なんで私なんか誘うの」

「は?」

「金曜日でしょ。もっと別の人誘えばいいじゃないの。彼女とかさ」

 私が言うと、大倉主査はふっと笑って、

「彼女、いると思ってました? 僕に」

「思ってた。というか、思ってる」

「だから誘いを断ろうと?」

「そういう意味じゃないけど……」

「じゃあ、OKですね」

「え」

 大倉主査は突然私の腕をとった。反対の手をすっと挙げる。何してるの、と訊こうとした瞬間、まるでドラマのようにタクシーが現れて止まる。

「はい、乗って下さい」

「え、ええっ、あの……」

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