君の手が道しるべ
「途中で投げ出すみたいな辞め方をしたくないの」私はきっぱりと言い切った。「仕事に対してというよりは、今までお世話になったお客様たちにちゃんと恩返しをしてから辞めたい」

 それを伝えたとき、大倉主査は驚いたような顔をして、その後すぐに破顔した。

「僕、いくらでも待ちますよ。永瀬調査役がそう思うなら、尊重します」

 その時のことを思い出していると、栞ちゃんが私の隣でぶつぶつと何やらつぶやいている。「大倉主査は、こういうくそ真面目なところが好きなのかなぁ……」

 机の上で電話が鳴っている。このタイミングでかけてくる相手は、ひとりしか思い浮かばない。

「はい、永瀬です」

「どう? 仕事は完璧に終われた?」

 受話器越しに聞こえてきたのは、いつもと変わらない史子のシニカルな声だった。

「うん。おかげさまで。もう、気が済んだよ」

 私の返答が気に入ったらしく、史子はくすくす笑う。

 大倉主査との結婚を決めたと史子に言うのは、なかなかの勇気が必要だった。

 家柄の違いを理由にプロポーズに反対した史子だったから、私の決断にも賛成しないだろうと思っていたのだ。

 けれど、意外にも史子はあっさりと「そう。頑張りなよ」と言った。

「——反対しないの?」

 思わずそう訊くと、史子は首をかしげ、すこしの間私を見つめた。

「その結論を出すまでに、きっと香織はものすごく悩んだんでしょ。それで、考え抜いて、結論を出した。それなら、私が、あんたの決断を否定する資格はないよ」

「史子……」

「それにさ。香織、今、すごくいい顔してるもん。なんか憑きものが落ちたって言うか、すっきりしてるって言うか。そんな顔見せられたら、長年の付き合いのある同期としては、反対できないわよ」

 すがすがしい史子の言葉は、私の背中をさらに押してくれた。

「で? あの子はどうしてる?」

 電話の向こうで史子が言う。

「あの子?」

「藤柳梨花。あんたに啖呵切ったオンナ!」完全に面白がっている口調だ。「半年前に決着がついているとは言え、今日は今日であらためて悔しがっているんじゃないかと思ってさ」

「半年前ね……」

 その一件のことを、私は内心笑いながら思い出す。

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