この空を羽ばたく鳥のように。



 意外なことを言う源太に困惑して詰めよる。
 彼は困ったように笑った。



 「私ひとりの所業なら、私が処罰されるだけで済みます」

 「だから、それだけはさせたくないって……」

 「お気持ちはありがたいのですが、お嬢さまが同意した上での行為となれば、事はそれで済みません」

 「……!」



 源太の言葉が、鋭利な刃物のように胸に突き刺さる。
 源太は表情を引き締めると、厳しい言葉を口にした。



 「お分かりですよね……上士の子女ともあろうお方が、身分卑しい奉公人に身を委ねるなど、決してあってはならぬことです。そんなことが世間に知れたら、津川家の体面に関わります」

 「……!けど……けど軽輩であっても、源太は士分じゃない!けして身分卑しい者なんかじゃないわ!」



 若党は、足軽より上の階級とされる武士身分のはずだ。
 二本は差せなくとも、帯刀だって許されている。

 ムキになって言うけど、源太は冷徹に首を振った。



 「そんな言い訳は、通用いたしません」



 ――――他藩でもそうなのだろうが、会津藩は(こと)に門閥意識が強く、家格にうるさい。

 婚姻を結ぶにも同等の家格でなければならないし、特に上士は自分より身分が低い者を(さげす)み、たとえ能力があったとしても、意見に耳を傾けたり、取り立てたりするようなことはあまりない。

 そんな武家社会の中で、上級武士の娘と奉公人の不始末など、しかも今は危急存亡のときで、そんな非常事態の中で抱きあっていたなどと噂が広まったら。

 津川家の面目は丸つぶれだ。
 父上は私達をけして許しはしまい。



 「ご納得いただけましたか。私のひとりよがりで嫌がるお嬢さまを抱きすくめたならば、お嬢さまに非はございませぬ。
 私を庇い、あくまでお嬢さまが同意の上と申すつもりであれば、津川家のため、黙っていたほうが無難でございましょう」

 「庇うだなんて……」

 「悪いのは私でございます。女人の肌など触れたことがございませんでしたゆえ、籠城戦からお嬢さまに触れる機会を重ねるにつれ、つい移り気な振る舞いをいたしてしまいました。どうかお許しください」



 源太はそう言って数歩身を引くと、固い表情で深々と頭を下げた。

 涙があふれる。思わず首を横に振っていた。


 どうして―――どうして自分ばかり責めるの。


 源太は悪くない。悪いのは、私なのに。

 離れていく距離が切なくてならない。
 喜代美の時には考えたことがなかった、大きな身分の差。

 それは自分ではどうしようもならない。
 生まれてくる順番や場所を選ぶことなどできやしないのだから。

 自分の境遇を嘆く気持ちは 私だって知ってる。


 あらためて過去を振り返る。
 源太にとって、喜代美や屋敷を訪れる金吾さまや八郎さまはどのように映って見えたのだろう。

 まぶしく見えただろうか。
 羨ましく思えただろうか。

 自分が軽輩の出だということを、悔やんだりしなかっただろうか。


 けれど私は知っている。
 それでも源太は、自身の境遇の中で精一杯生きてきた。

 だから。



 「そんなに自分を蔑まないで。源太の良さは、皆が知ってる。皆、源太を信じてるわ。あなたが軽はずみな行いをするはずがないって」



 源太を見つめて訴える。涙が数滴こぼれた。
 彼は背を正し、そんな私を見つめ返すと黙って聞いている。



 「ごめんなさい。私……こんなふうにあなたを傷つけるつもりじゃなかった……。
 源太の言うとおりにする。黙ってろと言うなら言わないわ」



 源太は黙したまま。突き動かされるように私はさらに自分の気持ちを正直に告げた。



 「けれど私は、今夜のことを忘れたりしない。私の中で、なかったことにはしたくないから。
 源太の優しさも、ぬくもりも、支えてくれた腕も、全部忘れない」



 これは、喜代美を慕う恋慕と同じ感情なのか、今はわからない。

 喜代美のいない寂しさや心細さを埋めるために源太を利用しただけなのかもしれない。

 それでも私には源太が必要だった。

 最低な女だと思う。
 正しい行いを尊ぶ源太に安心して、こんなことを告げて彼の気持ちを煽るような真似をして。

 けれど、どうしても伝えずにはいられなかった。



 「……私もです。今宵のことは、生涯忘れません」



 源太はそう言って、少しだけ笑った。
 月明かりで、その目が涙で光っているように見えた。



 「さあ、夜が明けないうちにお身体をお休めください。明日も忙しくなるでしょうから。
 長局にはおひとりで行かれますね」

 「え……源太は?」

 「私はともに参れません。さすがに今宵はお嬢さまと同じ部屋で休むことなどできませんから」

 「そんな……」

 「お嬢さま。明日また参ります」



 源太は渋る私をなだめるように微笑んだ。
 月明かりに照らされた、その笑顔が印象深く胸に残る。



 「うん……わかった。じゃあ、また明日ね」



 源太はうなずいて、私が長局に向かうのを佇んで見守る。

 うしろ髪を引かれるような思いはしたものの、やはり同室で休むのは憚られる気がした。



 (今日のことは、あらためて話せばいい)



 また明日があるのだから。


 けれど次の日―――源太は姿を現さなかった。










 ※(うつ)()……ここでの意は、ふとしたはずみで起こる感情。特に異性にひかれる思い。出来心。



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