この空を羽ばたく鳥のように。



 さっきからドキドキが止まらない。



 「源太……そこに座って」



 外はまだ薄暗い。手燭の明かりが狭い部屋をぼんやりと照らすなかで、(ふすま)を閉めた源太を促すと、彼は耳まで真っ赤にしながら神妙な面持ちで従う。



 「着替える前に(ひげ)を剃るわね。それから(まげ)も整えなきゃ」



 源太は無言でうなずいた。

 私も正座した源太のとなりに移動して、手燭を手元に引き寄せると、七輪で沸かしておいた湯を張った(たらい)に浸した手拭いを絞る。

 熱い手拭いを口元に当てて蒸らす。そのあいだも不安でいっぱいだった。私は殿方の髭を剃ったことなどない。



 (うまく剃れるだろうか。失敗したら源太の顔に傷がつく)



 膝立ちになると源太の顎に手を添える。手燭の明かりを頼りに無精髭に剃刀を当て丁寧に剃ってゆく。
 源太は何も言わず、目を閉じて静かに身を委ねている。

 無防備な彼の顔に触れていることでさらに()まないドキドキを耳の奥で聞きながら、片頬が終わると安堵の息をつく。
 反対側にまわり再び剃刀を当てようとすると、源太の顔は面映(おもはゆ)さを消していて、かわりに柔らかな眼差しを私に向けていた。



 「お嬢さま。そんなに(りき)まなくても良いのです。どうせ私が剃る時に散々傷つけてますから。切れたとしてもどうってことございませんよ」

 「う……ごめんね」

 「いいえ、私より上手に剃れてます」



 優しく言われて、少しだけ肩の力を抜く。反対の頬はもっと早く終わった。
 口髭や顎髭も無事に剃り終わり、私は大きく息をついた。

 次は(まげ)を整える。剃りたての顎を撫でる源太の後ろにまわり、総髪に(ゆわ)えている元結(もっとい)(はさみ)でパチンと切り落としてから髪を(ほど)いて(くしけず)る。鬢付(びんつ)け油でほつれないよう整え、(もとどり)を新しい元結できつく結ぶ。こよりの端を歯で押さえキリキリと音がするほどきつく結わえたあと、私は倒れてからずっと言えなかったお礼の言葉を口にした。



 「源太……このあいだは、ありがとう。倒れた私のために小野さまを呼んでくれたり、滋養のある物を届けてくれたり……本当にあなたと九八には世話になったわ」



 源太は私の言葉にピクリと反応する。



 「いえ……こちらこそ申し訳ごさいませんでした。お嬢さまがお倒れになられたあと、私は己の振る舞いを悔やみました」

 「え……どうして?」



 元結を縛り終え、余ったこよりを鋏でパチンと切り落とすと静かに答える源太を背後から窺い見る。彼は続けた。



 「お刀自さまのことでご哀傷に暮れているお嬢さまに対し、思い()るどころか突き放すようなことを申し上げて、心労を募らせたのは私だからです」

 「そんなことないわ……!」



 立ち上がり、源太の前に回り込む。自分を責めてうつむく彼と向き合う。



 「源太は悪くない……!強くなれなかった私のせいなの!ごめんなさい、私、応えられなくて……強くなれなくて」



 詫びる言葉に、源太はさらにつらそうな顔をする。



 「いいえ、悪いのは私です。己が未熟なゆえにお嬢さまをお守りできぬことを棚に上げ、強くあれとは無責任も(はなはだ)しい。先ほどの旦那さまのお言葉に対しても立場も弁えず、出過ぎた振る舞いをいたしました。まこと申し訳ございませぬ」



 源太は手をつかえて頭を下げた。けれどそれこそ首を振って否定する。



 「私は嬉しかったわ……“信じて待ちましょう”と言ってくれた源太の気持ちが。あの場にいた他の誰もそんなふうに言ってくれなかった……。ありがとう、源太はいつも私の味方になってくれる。いつも助けてもらってるわ」



 涙ぐみながら微笑むと、顔をあげた源太も弱い笑みを返してくれた。



 「そう思っていただけるなら、私も嬉しゅうございます」




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