この空を羽ばたく鳥のように。
声をあげてベンチから立ち上がった。
「ねえっ、見て見て!ほら、あれ―――」
私が指差す方向を彼が見上げると、空の彼方から白鳥が数羽、こちらに飛来してくるのが見えた。
「帰ってきた―――」
彼も立ち上がり、私のとなりで空を見上げる。
白鳥たちはその白い体に光る水飛沫をまとわせ、水面を滑るように次々と降りてくる。
その姿はあまりにも優雅で壮麗で。
「キレイ―――」
美しい光景にしばらく見入ってから、あれ?と疑問が浮かぶ。
なんだろう。
こんな光景、ひとりでいた時も何度も見ているはずなのに。
今までこんなにキレイだと感じたことなかった。
誰かと一緒に見るだけで、こんなにも景色が違って見えるんだ。
(……ううん。違う)
否定しながら、何かの錯覚に陥る。
(私はずっと以前にも、こうして誰かと同じ景色を見ていたような―――)
不思議な感覚にとらわれて、となりの彼を見上げる。
すると白鳥を見ていたはずの彼も、いつの間にかその視線を私のほうへ向けていた。
彼は優しく笑う。
その笑顔を、私は知ってる気がする。
「よかった。あなたがとなりにいてくれて」
その言葉に、笑顔に。なぜか胸が締めつけられる。
ドキン。ドキン。ドキン。
高鳴る鼓動に戸惑っていると、彼は再び視線を湖に向けた。
「こんな景色を見ていると、いつも心が騒ぐんです。
なぜ僕はひとりでこの景色を見ているのだろうかと。
この景色を一番に知らせたい。一緒に見たいと思う人がいたはずなのに、その人に伝えられないもどかしさが込みあげてくるんです」
そう言って、少し寂しそうに目を細める。
ズキンと、胸に痛みが走った。
それは彼の大切な人だったのだろうか。
かつてふたりで見ていた景色を、今はひとり見つめながら、失った恋を思い出してるんだろうか。
そう考えると、となりにいたのがその人じゃなく、私だったことが申し訳なく思えてくる。
「けれど今、あなたが一緒に見てくれて嬉しかった。いつものように胸が騒ぐこともなかった。……不思議です」
そのまなざしを優しく滲ませて、嬉しそうに微笑む。
「ハッピーリングが見れたのも、もしかするとあなたがいてくれたからかもしれませんね」
そんなふうに言われたら、私のほうは胸の奥が騒いでたまらない。
どうして彼は、初対面の私にこんなに心を許すのだろう。
それとも、巧みに私の気を引こうとしてるだけ?
誰にも容易く心を開けない私には、そんな彼の態度に戸惑いを覚えるばかり。
彼は身体をこちらに向けて、改まったように言う。
「よかったら、また同じ景色を見てもらえませんか」
「えっ……」
「あなたの前では正直な自分を出せる気がするんです。だからまた会ってほしいです。ダメでしょうか」
胸の高鳴りが一段と速くなる。
彼の真意を測れなくて、どうしたらいいのかまごつく。
心の中では、また会いたいと思う。
この短い時間で、私も心を許し始めていた。
こんな人は初めて。この出会いを終わらせたくない。
でも信じてついていくことを、怖い、とも思う。
さっきのチャラい大学生だったらいいの。ついていくのは簡単。
こっちだって信用してないから、裏切られたって「ああ、やっぱりね」で終わる。
けれど、本当に信じたいと思う人には――――。
心のすべてを預けて、それで裏切られてしまうのが怖い。今までの経験を思い出せば、なおさら。
それにこんなステキな彼が、私みたいな生意気な女子高生を本気で相手にするとは思えなくて。
「……なによ。結局はナンパなんじゃない」
彼の言葉に答えずに、ついはぐらかしてしまった。
私の悪いクセ。私の弱いところ。
いつも素直になれない、あまのじゃくなの。
言われて彼は、気恥ずかしそうにうつむき、うなじを掻く。
「あ…そうですね。違うとは言い切れないですよね。つまるところ、そういうことになるのかな」
ううん、違うよ。さっきの大学生とは全然違う。
けれどそれを、うまく伝えることができない。
「こんなことしてないで、早く仕事に戻ったほうがいいんじゃない?JKに声かけてるとこなんか知り合いに見られたら困るんじゃないの」
冷たくあしらうと、彼はさっきの寂しそうな顔を見せた。
「……そうですね。こんなところ、同僚に見られたら大変だ」
弱い笑みを口元に浮かべて湖に目を向ける姿に、傷つけただろうかとズキンと胸が痛む。
※つまるところ……要するに。結局。
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