月は紅、空は紫
 この時、布団の中に入ってきた清空には外よりの声が聞こえてはいたのだが――正直なところ、返答するかどうかを迷っていた。

 何せ、昨夜の激闘の直後である。
 しかも、昨日の昼には道元の店を薬を貰いに行っており、昨日から眠っていない。
 さらに、道元の店で人間関係の問題を投げかけられ、市中には鎌鼬が清空の知る限りでも二匹も放置されたままになっている。
 これらの事で、ただでさえ頭を悩ませているところに――この訪問者はきっと新たな厄介ごとを持ち込んで来ているに違いない。
 これ以上、頭を抱える羽目に陥るのは御免被りたい……というのが清空の本音であった。

 戸の外で、小野田が一度目の呼びかけに返答が無いことを確認し、念の為にもう一度だけ呼び掛けてからこの場を去ろう――そう思いながら戸を叩くための手を持ち上げた時に、長屋で清空の隣に住む、大工の源二の妻、おようが小野田に話しかけた。

「ねえ、お侍さん。清さんに用なのかい?」

 いきなり親しげに話しかけてきたおように、小野田は少し面食らったのだが、何がしかの伝言くらいは出来るかも知れぬ、とおようからの問い掛けに答えてみせる。

「うむ、御役所からの使いでな。どうやらお留守のようだが……」
「いやいや、清さんはこの時間はまだ寝てるのよ――」

 外でのやりとりは清空の耳にも届いていた。
 『御役所からの使い』という部分も、清空にはしっかりと聞き取れてしまい、清空には眠ったフリで居留守を決め込むという訳にはいかなくなってしまったわけである――。
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