月は紅、空は紫
そもそも、清空はこの時代には極めて珍しい夜型の生活を営む者である。
慶安二年に出された『慶安の御触書』によって、庶民の贅沢というものは戒めるべし、という思想が徹底されていた。
元々は農民が仕事に精を出すべし、として出された触書であるが、それは当時の身分制度における下位の者――職人や商人、むろん医師にも適用されており、灯りを点さねば読み書きさえ出来ない夜に生活をすることは贅沢である、とされていたのである。
故に、この時代は朝日と共に活動を始め、夜になれば早々に寝てしまうという生活様式が一般的であり、清空のような者は良くて『変わり者』、悪く言われるのならば幕府からのお達しを守ろうとしない『無法者』な扱いを受けるのである。
しかし、清空は医師となる前より夜になると起き出すような生活をしており、診療所を開いた後でもその生活時間帯は変わることもなく――患者たちは仕方なしに清空が起きている夕方に診療所を訪れているのである。
つまり、正確に言えば清空は、長屋の住人を含めて患者たちから『変わり者だが腕の立つ先生』と呼ばれていたのである。
慶安二年に出された『慶安の御触書』によって、庶民の贅沢というものは戒めるべし、という思想が徹底されていた。
元々は農民が仕事に精を出すべし、として出された触書であるが、それは当時の身分制度における下位の者――職人や商人、むろん医師にも適用されており、灯りを点さねば読み書きさえ出来ない夜に生活をすることは贅沢である、とされていたのである。
故に、この時代は朝日と共に活動を始め、夜になれば早々に寝てしまうという生活様式が一般的であり、清空のような者は良くて『変わり者』、悪く言われるのならば幕府からのお達しを守ろうとしない『無法者』な扱いを受けるのである。
しかし、清空は医師となる前より夜になると起き出すような生活をしており、診療所を開いた後でもその生活時間帯は変わることもなく――患者たちは仕方なしに清空が起きている夕方に診療所を訪れているのである。
つまり、正確に言えば清空は、長屋の住人を含めて患者たちから『変わり者だが腕の立つ先生』と呼ばれていたのである。