月は紅、空は紫
「もし、お嬢さん――」

　場所と場合が違えばナンパのような台詞である。
　江戸時代といえば、士農工商でガチガチに身分制度で縛られていた――そんな印象があるかもしれないのだが、それは間違いである。
　確かに、身分制度による不自由さというものは存在していたが、それでも現代と比べると緩やかな部分も多く存在していた。

　その一つが、いわゆるナンパという行動である。
　貞操の観念というものが、現代に比べれば緩やかであり『行きずりの関係』というものも多く存在していた。
　この時代の講談にも女性から『ちょっとお茶でもいかがですか？』と男性に声を掛けるような場面が見られたりもする。

　かように、ナンパという行為も存在していたのだが――金造が声を掛けたのはナンパのためでは無い。
　河原を歩く美女が、何やらおかしな事に巻き込まれているのかもしれない、という純粋な心配によって声を掛けたのだ。

　女性が単に、正常な意思を保てないタイプの人間であれば、金造の呼びかけにも応えないであろうし、呼びかけに応えて、何も問題が無ければそれで良い。
　金造がこの女性に声を掛けたのは、この時代には確かに存在していた『人情』という感情からであった。
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表紙・目次

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